実験的基盤
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 22:31 UTC 版)
「ラザフォードの原子模型」の記事における「実験的基盤」の解説
1911年、ラザフォードは予想もしていなかった実験結果の解釈として、原子の内部構造に関する独自の模型を発表した。原子内では中心の電荷(原子核のことだが、ラザフォードは核 (nucleus) という用語は使っていない)の周りを雲のように電子が飛び回っているとした。この1911年の論文でラザフォードが確信していたのは、原子の小さな中心領域に正または負の電荷が集中しているという点だけだった。 「具体的には、高速なアルファ粒子が原子を通り抜けた経路から、原子には正の中心電荷 Ne があり、それとは逆に帯電した N 個の電子がその周囲にある」 既知の速度のアルファ粒子が 100e の中心電荷にどれだけ近づけるかを純粋にエネルギーの観点で考え、ラザフォードは金の中心電荷の半径が 3.4×10−14 メートルよりも小さい(実際どれぐらい小さいかは不明)という計算結果を得た(現代の計算値はその5分の1)。金の原子自体の半径は 10-10 メートルであり、中心電荷がその3000分の1の大きさしかないという驚くべき結果だった。 ラザフォードの原子模型は原子の電荷と質量が中心に集中していることを明らかにしたが、原子の残りの部分がどうなっているのか、電子がどういう軌道を描いているかについては全く言及していない。彼は土星の輪のように電子が1つまたは複数の環状の軌道を描いているとする長岡半太郎の原子模型に言及した。同様の環状の軌道はJ・J・トムソンのいわゆるブドウパンモデルでも言及されている。 ラザフォードの論文では、原子の中心電荷が原子質量単位 u (ラザフォードのモデルでは現在の統一原子質量単位の約半分)で表した原子の質量に「比例」するのではないかと示唆している。金の原子量は197で(当時は正確には分かっていなかった)、ラザフォードはこれを196uとモデル化した。しかし、ラザフォードは中心電荷と原子番号を直接結び付けようとはしなかった。なぜなら金の原子番号は79だが、ラザフォードは金の原子核がヘリウム原子核49個ぶんの質量があると考え、従って質量は196u、電荷は96e だと考えていたからである。そのため実験においても金の中心電荷は約100eだとして計算を行っていた。したがって金の原子番号(当時は単に周期律表上の位置を示す値でしかなかった)とはかけ離れていたため、原子番号と中心電荷が対応しているとは考えもしなかった。 ラザフォードが論文を発表した1カ月後、Antonius van den Broek が原子番号と核の電荷が直接結びつくのではないかという提案をし、2年以内にヘンリー・モーズリーが実験によってそれを確認した。
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