定義・特性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 13:45 UTC 版)
物語は作り手の思想などを、一定の枠組みや起承転結などの筋立てによって再構成したものであり、自然に湧き出るように発生するものではない。近代作家たちの中には、計画的なプロットに基づかず摂理を加えず、作家自身にも予言のできない結末へと流されるまま進んでいくようなあり方の小説を模索する者もいたが、こうした試みは従来の枠組みの小説に熟達した上で多くの天分に恵まれなければ為し得ない種類のものである。小説家を志す者が物語の構想と登場人物の設定を頭の中に思い浮かべて勢いのまま書き始めようとしても、決して自然と筆が進むことは起こらず、小説家はストーリーを捻り出すために七転八倒することになる。作家の中にはしばしば「登場人物が勝手に動いて筆が進んだ」という体験をする者もいるが、それは人並み以上の読書や経験、修練を積んで初めてできるものである。 一方、人間が物語を理解したり作り出したりする能力自体は5歳頃になると既にみられ、「欠如の回復」といった主人公の使命を理解したり、自分が知覚した経験を解体して類型的な物語へと再構成したりすることができるようになる。主人公が「行って帰る」という物理的ないし精神的な行為を行うことにより、主人公の成長などの変化が描かれるという物語の類型は、幼い子供にも好まれる原始的な物語の構造であり、人類にとってそれ以上のものを作る必要がなかった物語の完成形である。 民話のような古典的な物語においては、登場人物の中の誰が主人公であるかは明快で、唯一無二の主人公を軸とした物語が描かれる。一方、現代の作品では、複数の登場人物を軸にした物語が平行したり絡み合ったりする形で進行するのが一般的であるため、物語のサブプロットごとに主人公と呼べる登場人物が存在する。通常、物語の作り手は、メインとなる主人公を主人公らしく見せるために注意を払いながら、様々な技法を駆使して物語を筋道立てて進行させようとする。しかし作家の技量が未熟であったり、既存の枠組みを打ち破る独創的あるいは前衛的な作品を創らんとする野心を抱いていた場合は、そうした注意や努力が放棄されている場合もある。また物語の解釈は作り手の中ではなく受け手の側に委ねられており、受け手が悪役の側に共感した場合など、誰を主人公とするかで解釈が分かれてしまう場合もある。あるいは群像劇など明確な主人公がおらず、不特定多数の登場人物によって展開していく物語もある。本項では、想定しうる主人公の定義や、主人公にしばしば見られる特性を以下に列挙する。
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