官の挫折と民の苦闘とは? わかりやすく解説

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官の挫折と民の苦闘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 04:04 UTC 版)

釜石鉱山田中製鉄所」の記事における「官の挫折と民の苦闘」の解説

1880年明治13年)に釜石建設され官営製鉄所は、操業がうまく行かず1883年明治16年)に廃業した製鉄所管轄する工部省は、政府御用達金物であった東京田中長兵衛払い下げ依頼する娘婿番頭格の横山久太郎長男安太郎の熱心な勧めもあって製鉄所再建決意した田中長兵衛は、横山派遣して現地の総責任者とし、休止していた英国25トン高炉の他に新たに2基の小型高炉作って銑鉄製造製銑)に当たらせた。 横山官営時代技術者の中から高炉操業主任として高橋亦助(1853-1918)、機械設備主任として村井源兵衛らを雇い入れ、彼らを始めとする多く人々と共に製銑挑戦するが、度重なる失敗によって資金は底をついてしまう。従業員らに支払給金無くなり横山自身家財道具まで売り払う状況の中、1886年明治19年7月横山久太郎東京田中長兵衛から呼び出し受けた上京する横山から現場託され高橋亦助は、何とか成功させたいという思いから横山不在の間にも2度操業試みるがいずれも失敗に終わる。やがて田中長兵衛より自ら釜石赴くという知らせ入り、それを待つのみとなった高橋亦助は全従業員集めて作業所休業解雇とを告げた。その晩、高橋亦助夢に不思議な老人現れこれまで良い鉱石として使用していたもの不良だと言い不良だとしていたものこそが真に良い鉱石だと告げて消え去ったという。 その翌朝高橋亦助元に昨日解雇した従業員一同訪れた。そして、度重なる失敗続き解雇仕方が無いとは思うがこのまま終わるにはどうしても諦めきれない家族食べさせる食糧さえあれば賃金要らないのでどうかもう少し挑戦させて欲しい、と懇願した。さらに彼らは、これまで不良として使われなかった鉱石をぜひ試してほしいと言う。夢の話との奇妙な一致もう一度挑戦することを決めた高橋亦助従業員と共に迎えた通算49回目途切れることなく流れ出し長い苦難の道経てついに成功する至った。この日、1886年10月16日は後に釜石製鉄所創業記念日となった

※この「官の挫折と民の苦闘」の解説は、「釜石鉱山田中製鉄所」の解説の一部です。
「官の挫折と民の苦闘」を含む「釜石鉱山田中製鉄所」の記事については、「釜石鉱山田中製鉄所」の概要を参照ください。

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