官人滋野氏とは? わかりやすく解説

官人滋野氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:16 UTC 版)

滋野氏」の記事における「官人滋野氏」の解説

家訳の子滋野貞主学者政治家として知られ、娘の縄子を仁明天皇に、奥子を文徳天皇入内させ、縄子は本康親王を、奥子は惟彦親王産んだ最後正四位下相模守を兼ねた。弟の滋野貞雄も娘の岑子を文徳天皇入内させ、二皇子皇女をもうけ、最後従四位上となっている。 貞観10年868年滋野恒蔭が信濃介に任ぜられ、滋野善根貞観12年870年)に信濃守に任ぜられ、滋野一族信濃の関係が生じる。恒蔭は貞主の嫡孫善根は貞主の次男ではないか考えられている。寛弘6年1009年)には大外記滋野善言信濃からの貢馬司っている。丸島和洋は、信濃国司を歴任した滋野氏信濃馬産地と深い関わり持っており、それを管理していた古代豪族望月禰津海野の三氏と滋野氏姻戚関係を結び、貴種である滋野氏の姓を称するようになったではないか見ている。 以降目立った滋野姓官人出ていないが、外記日記などに滋野姓名乗るものが記載されている。

※この「官人滋野氏」の解説は、「滋野氏」の解説の一部です。
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