官仕時代
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1886年(明治19年)3月20歳となるのを機に退学し、冬浪速紡績支配人寺田将美に従い大阪に移った。1889年(明治22年)東条兼作の勧めで神戸穴門筋に旭商店を開業し、華筵輸出事業を計画してバンクーバーに渡ったが、冬には廃業した。 1890年(明治23年)8月5日秋月新太郎の周旋で警保局監獄課雇となり、11月27日桜井勉徳島県知事官房として徳島県に転じ、1891年(明治24年)3月10日直税署諸務課、31日知事官房、7月8日知事官房秘書主任を歴任した。 1891年(明治24年)12月25日枢密院属となり、帰京した。在京中、書記官関謙之の『東京日日新聞』散録、寺山星川の『城南評論』執筆を助けた。1892年(明治25年)9月8日非職となった。
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