宗麟への諫言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 09:10 UTC 版)
ある時、大友宗麟が凶暴な猿を手元に置き、これが家臣に飛び掛るのが面白くて何度もけしかけた事があった。毎日のように迷惑を掛けられた家臣は辟易し、大変困り果てた。これを聞いた道雪は、他の家臣と同じように宗麟の前へ出向いた。案の定、宗麟が猿をけしかけてきたので、道雪はこれを鉄扇で叩き殺してしまった。驚く宗麟に「人を弄べば徳を失い、物を弄べば志を失う」と諫言したので、宗麟は大変反省した。 現在の大分市鶴崎に無形民俗文化財の鶴崎踊りがあるが、この踊りの起源は道雪である。宗麟が出家をする前の義鎮と呼ばれた若い頃、酒と女に溺れて国政を顧みず、忠勤の者を賞さずに罪ある者を罰そうとさえしなかった。道雪は危機感を持ち、宗麟に拝謁を申し出たが、宗麟は道雪が諫言しに来たと悟って会おうとしなかった。そこで道雪は京都から美人の踊り子を呼んで昼も夜も構わずに自分の屋敷で躍らせた。女好きの宗麟は堅物の道雪の行為に驚きながらも興味を持ち、自ら道雪の屋敷にやってきた。そこで道雪はようやく宗麟に拝謁する事ができ、「たとえ折檻を受けても、主人の過ちを正すのが臣たる者の勤めである。我が身を恐れて自分さえよければ、他人はどうでもよいというのは卑怯である。自分の命は露ほども惜しくは無い。それより主人が世間の外聞を失う事が無念である」と述べて諫言した(『立花道雪覚書』)。宗麟はこの道雪の諫言を聞き入れて襟を正し、以後も宗麟の行状に問題があれば道雪が諫言して改める事が続いた。ちなみに鶴崎踊りはこの時の踊りが大分に残ったものである。
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