宇野宗佑と大黒座とは? わかりやすく解説

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宇野宗佑と大黒座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 14:11 UTC 版)

守山映画劇場」の記事における「宇野宗佑と大黒座」の解説

宇野宗佑はその著書中仙道守山宿』(1984年)で「貸火鉢」の一章を割き大黒座について記述しており、宇野人物像描いた宇野宗佑全人像』(1988年)にも、同章から多く引用されている。同館を創業し経営した松下三郎を「桜井屋の治三はん」と呼び従来守山町では東門院守山寺の境内守山煉瓦野洲郡物部村大字浮気1918年10月開業)の敷地内での露天上映しかなかったところに新たにつくられ映画館親しみをもって接している。「桜井屋の敬治クン」こと松下敬治は松下三郎の甥であり、宇野幼友だちであり、敬治とともに同館の宣伝チラシ撒いたりしている。宇野は、同館が開館した1929年4月、満6歳吉身尋常小学校現在の守山市吉身小学校)に入学している。 宇野1943年昭和18年2月1日、満20歳学徒出陣により徴兵されシベリア抑留経て1947年昭和22年10月15日故郷引き上げてくる。宇野が『ダモイ・トウキヨウ』(葛城書房)を上梓したのは翌1948年11月1949年とも)、田口修治のシュウ・タグチ・プロダクションが製作、東宝配給した劇映画『私はシベリヤ捕虜だった』が公開されたのが1952年4月3日である。同作原作宇野の『ダモイ・トウキヨウ』であることから、同館で試写行いそのとき宇野舞台挨拶行ったという旨の記述が『中仙道守山宿』にあり、『宇野宗佑全人像』には同館の壇上にいる宇野写真掲載されている(右写真)。同作を同館で上映するにあたり宇野経営者松下三郎らと打ち合わせをしていたところ、宇野の父の宇野長司(宇野超爾)が映画写りこむ天皇制打倒」のビラものいいをつけたという。そのため、同館での上映では、該当部分カットしたヴァージョン上映されたのだという。

※この「宇野宗佑と大黒座」の解説は、「守山映画劇場」の解説の一部です。
「宇野宗佑と大黒座」を含む「守山映画劇場」の記事については、「守山映画劇場」の概要を参照ください。

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