宇垣閥とは? わかりやすく解説

宇垣閥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 14:49 UTC 版)

宇垣一成」の記事における「宇垣閥」の解説

長州閥の領袖である田中義一の元で権力蓄えた宇垣は、田中派引き継ぐ形で陸軍内の一大派閥形成し1920年代陸軍の主要ポスト独占した宇垣派と目され陸軍中央幕僚としては、以下の人物が挙げられる金谷範三陸士5期参謀総長畑英太郎陸士7期陸軍次官南次郎陸士6期陸軍大臣朝鮮総督阿部信行陸士9期首相陸軍大臣朝鮮総督二宮治重陸士12期文部大臣参謀次長杉山元陸士12期元帥陸軍大臣参謀総長教育総監小磯國昭陸士12期首相陸軍次官朝鮮総督建川美次陸士13期、参謀本部第一部長) また、同期鈴木荘六参謀総長)、白川義則陸軍大臣)も宇垣協力的であった。彼らはいずれ長州出身者ではなく菅野尚一松木直亮といった長州出身者は有力ポストについていない。このような長州閥から宇垣閥への改造は、田中後継者目され津野一輔死後本格化したとされる1920年代中盤からは、永田鉄山一夕会メンバー中心とする中堅幕僚からの過激な突き上げ抑制苦心する一夕会メンバー長州閥の流れを汲む宇垣閥による陸軍支配をよく思っておらず、会員課長クラス要職独占することで、徐々に権力奪っていく。1931年犬養内閣組閣時には宇垣推す阿部信行陸相になる手筈であったが、永田から政友会有力者小川平吉へ、鈴木貞一から森恪への工作功を奏し荒木貞夫陸士9期)を陸軍大臣に就くこととなる。田中・宇垣閥と対立していた上原閥の流れを汲む佐賀閥系に属す荒木は、参謀総長閑院宮載仁親王参謀次長真崎甚三郎据えたほか、小畑敏四郎作戦課長山岡重厚軍務局長山下奉文軍事課長など起用するなど、陸軍中央の要職から宇垣閥を一気排除し陸軍内部勢力図大きく書き換えることとなる。1936年二・二六事件後には、皇道派粛清巻き添え食らう形で、南、阿部建川予備役編入されるなど、さらに勢力弱めることとなった

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