宇垣内閣の組閣を断念させるとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 宇垣内閣の組閣を断念させるの意味・解説 

宇垣内閣の組閣を断念させる

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 23:05 UTC 版)

石原莞爾」の記事における「宇垣内閣の組閣を断念させる」の解説

昭和12年1937年)に廣田内閣総辞職した。これにより、次期首相にはかつて軍縮成功し軍部ファシズム流れ批判的であり、また中国英米などの外国にも穏健な姿勢を取る宇垣一成大将俄然有力視され、ついに大命降下される運びとなった。 しかし、石原莞爾参謀本部第一部心得中心とする陸軍中堅層は、軍部主導政治を行うことを目論んでおり、宇垣組閣成れば軍部に対して強力な抑止力となることは明白であったので、なんとしてもこの宇垣組閣阻止しよう動いた石原自身属す参謀本部中心に陸軍首脳部突き上げ寺内寿一陸軍大臣説得し宇垣に対して自主的に大命拝辞させるように「説得」する命令寺内大臣から中島今朝吾憲兵司令官命じてもらった中島中将宇垣組閣の大命受けよう参内する途中宇垣の車を多摩川六郷橋止めてそこに乗り込み寺内大臣からの命令であると言い拝辞するようにと「説得」した。だが、宇垣はこれを無視して大命受けた。 しかし、石原諦めず今度軍部大臣現役武官制に目をつけて宇垣内閣陸軍大臣ポスト誰も就かないよう工作した宇垣陸軍大臣在任中、「宇垣四天王」と呼ばれたうちの2人杉山元教育総監小磯国昭朝鮮軍司令官への工作成功し誰一人として宇垣内閣陸軍大臣引き受ける者はいなかった。こうして宇垣陸軍大臣得られず、やむなく組閣断念し石原の策は見事に成功した。だが、石原後年宇垣組閣流産させたこのときの自分行動人生最大級間違いとして反省している。石原反省は、宇垣組閣断念の後に政治の流れが、石原が最も嫌う日本中国全面戦争石原時期尚早考えていた対米戦争への突入へと動いていったことによるのである

※この「宇垣内閣の組閣を断念させる」の解説は、「石原莞爾」の解説の一部です。
「宇垣内閣の組閣を断念させる」を含む「石原莞爾」の記事については、「石原莞爾」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「宇垣内閣の組閣を断念させる」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宇垣内閣の組閣を断念させる」の関連用語

宇垣内閣の組閣を断念させるのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宇垣内閣の組閣を断念させるのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの石原莞爾 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS