学校の近代化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/08 07:20 UTC 版)
1960年代の男山中学校は木造校舎の改築が行われるなど、設備面の近代化が進められた。1962年2月には教室の不足を補うため、約1500万円を要して町立学校初となる鉄筋コンクリート校舎(2階建て6教室)が北側に増築された。1963年からは5カ年計画で、全ての校舎を鉄筋コンクリート校舎に建て替える事業が行われた。都市化による生徒数の増加が予想されたことや、最大58名を収容(1962年)してすし詰めと称された1学級あたりの生徒数を引き下げることにより、多くの教室が必要になったことが背景にある。1963年度予算の場合、男山中学校の校舎改築や八幡小学校のプール新設など、建設事業費に多くの予算が費やされた。既存校舎を使用しながらの改築工事となったため、第2期工事(1964年11月竣工)、第3期工事(1966年3月竣工)と分けて行われ、1967年3月には第4期工事が竣工し全ての校舎の鉄筋コンクリート化が完了した。1970年の冬にはこれまで使用されていた石炭ストーブに代わって石油ストーブを導入が導入された。 また、1960年代は義務教育の無償化の理念を実現すべく、教科書の無償給付が開始された。1967年度入学生から教科書が国の負担で無償給付されることとなったが、八幡町では町が独自に負担することにより、1年先駆けて1966年度入学生から無償給付が開始された。1967年度には1,2年生に拡大し(1年生は国、2年生は町の負担)、1968年度には全学年の教科書の無償化(1、2年生は国、3年生は町の負担)が実現した。1973年4月には修学旅行に5000円を助成する事業が開始されたが、この事業も義務教育の無償化へ向けた対策であった。
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