嫉妬と2度の自殺未遂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 06:33 UTC 版)
「エヴァ・ブラウン」の記事における「嫉妬と2度の自殺未遂」の解説
夫に先立たれたアンゲラ・ヒトラー(アドルフ・ヒトラーの異母姉)は、1928年からバイエルン・アルプスの美しい町ベルヒテスガーデンの近郊の山腹オーバーザルツベルクにある山荘ベルクホーフに居住し、ヒトラーの身の回りの世話をしていた。同居していた彼女の娘ゲリは叔父ヒトラーから大変可愛がられていたが、次第にそれは束縛に変わっていった。 1931年9月、ヒトラーとの口論の後、ゲリは拳銃自殺を遂げた。この直前、ゲリはエヴァからヒトラーに宛てた手紙を読んで破いていたことを家政婦は証言している。エヴァはゲリの存在を知らされていなかった。 ヒトラーはゲリの死にショックを受け憔悴するが、結局は19歳のエヴァがゲリの代わりにヒトラーの傍で暮らすことになる。エヴァの日記によるとその時期は1932年の春頃とされる。しかしヒトラーには他にも交際が噂される女性がおり、女優のレナーテ・ミュラー(ドイツ語版)(1907年 - 1937年)への嫉妬はエヴァを苦しめた。エヴァはヒトラーに対して深い愛情を抱いており、あまり男性としての自信が無かったヒトラーに「性的満足も得たいのなら、他の男と付き合いなさい」と忠告されても離れることは無かった。 1932年11月1日、エヴァは自らの胸を拳銃で撃ち、自殺を図った。しかし、弾はそれて頸動脈付近にとどまり、自殺は未遂に終わった。ヒトラーはこの自殺未遂にショックを受け、以降は他の女性との交際を控えていった。ヒトラーは「自分はドイツと結婚した」と主張し続けていたため、“妻”エヴァの存在は山荘の側近だけが知るものであった。 ヒトラーは1933年の首相就任や1934年の総統就任などで多忙な日々を送るようになり、エヴァのもとを訪れる回数も減少した。エヴァはヒトラーの愛情に疑問を抱き、1935年5月28日、睡眠薬の服用による2度目の自殺を図る。エヴァが飲んだ睡眠薬は危険性が低いものであり、命に別状はなかった。この時、エヴァの姉イルゼは自殺が狂言と見られることを恐れ、エヴァの日記を破り取っている。また、9月には父親のフリッツがヒトラーに「娘を家族の元に帰してくれるように」という趣旨の手紙を書いた。この手紙はフリッツに託されたホフマンを通じてエヴァに渡り、彼女は手紙を破り捨てた。また、母のフランツィスカも直接ヒトラーに同じ趣旨の手紙を書いたが、この返事もなかった。 回復後、ヒトラーはエヴァに対しミュンヘン郊外に邸宅、メルセデス・ベンツの専用車、運転手、メイドを与えるが、エヴァはすぐにベルクホーフ山荘に戻ってしまう。ヒトラーの首相就任後もヒトラーの異母姉アンゲラとナチス閣僚の妻たちはエヴァの存在を依然として認めようとしなかった。しかし、アンゲラは再婚をきっかけにエヴァの近くに住むことを禁じられ、ドレスデンへ移住した。
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