女子礼服の構成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 04:11 UTC 版)
宝髻(ほうけい) 『令義解』に「金玉を似て髻(もとどり)の緒を飾る。故に宝髻という」と記述がある。 次いで『衣服令』に六位以下の女官に対して「髢」を制定していることから、礼装時には髢を用いていたと考えられ 髢と金銀珠玉の髪飾りを飾ったものとみられている。 衣(きぬ)、大袖(おおそで) 内親王・一位の女王・一位の内命婦は深紫、女王の五位以上・内命婦三位以上は浅紫、内命婦四位は深緋、内命婦は浅紫。 紕帯(そえおび) 内親王・女王三位以上は蘇芳深紫、女王・内命婦四位は浅紫深緑、女王・内命婦五位は浅紫浅緑。 裙(くん) 襞を畳んだロングスカート。纈(ゆはた)といって染め模様のあるもので、一位以上は蘇芳深浅の紫緑、それ以下は蘇芳浅紫浅深緑。 褶(ひらみ) 内親王・女王は浅緑、命婦は浅縹 襪(しとうず) 錦の韈(たび)。男子同様の錦で出来た靴下。 舄(せき)、沓(くつ) 三位以上は緑の靴を金銀で飾る。以下は黒い靴を銀で飾る。 平安時代後期―鎌倉時代の記録によると、裳唐衣(十二単)の裳と唐衣を取り(唐衣の上から大袖を着る説もある)、袿を重ねた上に赤い大袖と青鈍の裳をつけ、髪に金の鳳凰の徴(宝冠)をさし、扇(さしば)と翳(うちわ)を持ち、くつをはいたという。大袖の上には背子(からぎぬ)の類はつけず、また領巾(ひれ―羽衣のようなもの)はなくて、紕帯を飾帯として締めたという。 女帝は大袖・小袖・褶ともに白綾で刺繍がない(これは天皇の礼服が赤い十二章になった弘仁11年以降の女帝の例がないので、称徳天皇の遺品の記録が先例になったからである)。明正天皇即位のときにこれが復興され、後桜町天皇も踏襲している。ただし男帝の礼服と違い、褶の下に纐纈裳をつけた。纐纈は絞り染めのことであるが、近世には表赤裏黄色の裳をいい、さらに女帝の礼服用のものは白無地であったから、名が体をあらわしていない。また表袴のかわりに緋の切袴をつけた(女帝は束帯を着ないから表袴がない)。後桜町天皇の礼服は御物として現存し、『冕服図帖』に詳しい図がある。 皇后は青地雉文を用いた。これは唐の「翟衣(中国語版)」を摂取したものである。なお、立后に使用する白綾衣は、少なくとも平安時代中期以降は礼服とは認識されていなかった。
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