天本と『平成教育委員会』
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「天本英世」の記事における「天本と『平成教育委員会』」の解説
フジテレビ『たけし・逸見の平成教育委員会』の生徒役(解答者)としてレギュラーで出演し、放映開始から1993年3月の「卒業」までほぼ皆勤であった。国語に関してはずば抜けた好成績を修めていた反面、理数系の問題ではほとんど正解できず、算数の問題になると時に問題文を読むことを放棄し、解答する気がないような態度を示すほどに苦手としていた。国語が得意ということで文学部出身と間違われることも多く、法学部出身の経歴を意外がられることもあった。先生役の北野武が遂に「天本君は算数の問題があと1問でも正解したら、海外留学を差し上げます!」と断言。リーチがかかっていた「たけし落とし」を完成させ、世界一周留学の旅を獲得した。 国語の授業において、「二文字熟語をつくる」というもので「芸文」と解答したが、はじめ正解とされなかった。そこで「『芸文』ってあるんですよ!」と反論し、逸見政孝に辞書を引かせた結果、掲載があったため正解となったことがある。また、出題者側が「あられもない」という解答を想定していた問題で「しどけない」と解答し、一旦不正解となるが、やはり辞書での確認を求め、同義語であることが確認されて正解となったこともある。ほかにも、読み方を答える設問で「模る=かたどる」「具に=つぶさに」と正解を出した唯一の回答者でもあり、スタジオ内を沸かせていた。 番組のオープニングで、勉強小僧が「今日の生徒〜」と出席生徒をテロップ入りで紹介する際、渡嘉敷勝男が「わたしゃもう少し背がほしい」とテロップで紹介された後に、天本が「半分やるから家をくれ」と紹介されたこともあった。他にはうじきつよしが「軽音楽部の部長」と紹介された後、天本が「謎の帰宅部」と紹介されたこともあった。 『平成教育テレビ』でも番組の大部分に出演したが、「先生というのは、『自分は馬鹿です』と言っているようなもの」とつい本音を言ってしまい、北野や逸見、ほかの共演者を慌てさせている。また、一度「卒業」で番組を降板するも、後に卒業生枠ができて1期生も再び番組出演するようになると、天本も番組に登場して笑顔で点呼に応えていた。 しかし、1993年12月に逸見が没したのをきっかけに心境が一変した。逸見の緊急追悼番組にゲスト出演し、「自分の方が生き残ってしまった」「人間は年老いた者から順番に死んでいくものなのに、逸見さんはあまりにも早過ぎた」と、語気強く無念さを語った[出典無効]。さらに、『平成教育委員会』のプロデューサーを担当していたイーストの越真一が同年に自殺したことにも触れ、「逸見さんは(越から数えると)2人目の犠牲者だ。この業界は狂ってる。あんな番組にケタケタ笑って出たくないですよ!!」と激昂して『平成教育委員会』との決別を表明し、その後は宣言通り二度と出演しなくなった。
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