天台・真言密教の影響と山岳信仰
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「甲斐国の仏教」の記事における「天台・真言密教の影響と山岳信仰」の解説
平安時代中期の9世紀には、入唐僧である空海・最澄により真言宗・天台宗の両派が新しい仏教として密教を導入する。天台宗は東国出身の円仁の活躍もあり早くから東国へも伝播し、甲斐国ではに市河荘(西八代郡市川三郷町)を中心とする荘園)において成立した平塩寺(現在は廃寺)が天台勢力の拠点寺院となったほか大善寺や円楽寺、岩殿山円通寺(大月市)などの天台寺院が成立したが、平安後期には真言勢力に押されて後退する。 一方の真言宗は天台宗より送れて伝播し、空海書簡によれば空海は812年(弘仁3年3月)が甲斐国司の藤原真川に対し密教教典の写経を依頼し弟子を派遣している。また、同年には都の高雄寺(神護寺)において金剛界・胎蔵界の灌頂が行われているが、胎蔵界受法者の記録には甲斐国出身で永禅寺(法善寺)を創建した神徳の名があり、甲斐国では弘法大師開創伝承を持つ寺院や、平安後期に天台寺院から転宗した寺院も多い。 また、富士山や八ヶ岳、金峰山など甲府盆地の周囲に高峻な山々が連なる甲斐国では古来から山岳信仰があったが、天台・真言密教は山岳信仰にも影響を与え修験道が成立する。特に役行者により始められたと伝わる富士信仰や金峰山信仰はその代表的なもので、富士山麓には修験道に関わる行場があり、修験道と関係して創建された円楽寺(甲府市)には役行者像が伝わる。金峰山においても修験道関係の遺構や遺物が存在している。
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