大阪市編入以降とは? わかりやすく解説

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大阪市編入以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 13:52 UTC 版)

西成区」の記事における「大阪市編入以降」の解説

1925年大阪市第二次市域拡張の際、旧西成郡今宮町玉出町津守村粉浜村大阪市編入されて、西成区として区制施行した区名は旧郡名由来する大阪市第二次市域拡張に際して当初西成郡今宮町玉出町津守村粉浜村および東成郡墨江村敷津村安立町区域をもって住江区」を設置する案が出された。その後区域今宮町玉出町津守村粉浜村変更した上で住之江区」とする修正案出された。しかし「住之江区」では隣接する住吉区発音似ているため紛らわしいという意見や、同時に大阪市編入し旧東成郡域(旧住吉郡域を除く)が当初案の「城東区」から「東成区」に区名変更したことを受け、旧西成郡域でも郡名残したいという意向出されたため、旧郡名からとった「西成区となった。なお、旧西成郡域は伝法川 - 木津川間が大阪市第一次市域拡張の際に編入済だったため分断されており、伝法川以北が「淀川」を採用した結果木津川以東の当区が郡名採用することになった編入当初、4町村の中で最大人口擁する今宮町影響力強く区名も「今宮区」になる可能性があった。それに対し玉出町が、今宮町粉浜村中間位置することを理由に「玉出区」を提案。どちらを選んで互いに遺恨が残るため、妥協案として「西成区になった経緯もある。 区役所1925年の区発足当初花園町(現:花園南1丁目)の旧今宮町役場使用した1927年当時西成区域のほぼ中央であった千本通3丁目15現在の千本南1丁目3番朝日プラザ付近)に移転し、さらに1954年12月10日に西皿池町(現:岸里1丁目)の現在地庁舎竣工し移転している。2001年12月には2代目現庁舎建て替えられている。 区発足当初町名は、旧今宮町域では旧大字引き継いだ37町、旧玉出町・旧粉浜村・旧津守村についてはそれぞれ全域玉出町粉浜町・津守町とした。1927年に旧玉出町域を12町に、旧粉浜町域を4町に分けている。旧津守町域は1948年町域東西分け津守町東・津町西町名出来た1943年には大阪市行政区の分増区に伴い隣接する住吉区と区の境界一部調整して現在の区域となった。区南部粉浜町のほぼ全域津守町一部住吉区分離するとともに山王町松田町聖天下天下茶屋天神ノ森北加賀屋町の一部桜井町一部当時町名)を住吉区より編入した。このうち山王町松田町聖天下天下茶屋天神ノ森旧東成郡天王寺村に当たり、同じ区内に旧西成郡域と旧東成郡域が共存することになった1973年住居表示実施し現在の町名整理されている。

※この「大阪市編入以降」の解説は、「西成区」の解説の一部です。
「大阪市編入以降」を含む「西成区」の記事については、「西成区」の概要を参照ください。

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