大阪市立扇町第二商業高等学校
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大阪市立扇町第二商業高等学校 | |
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北緯34度41分56.3秒 東経135度31分3.5秒 / 北緯34.698972度 東経135.517639度座標: 北緯34度41分56.3秒 東経135度31分3.5秒 / 北緯34.698972度 東経135.517639度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
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設立年月日 | 1948年 |
創立記念日 | 1935年10月28日 |
閉校年月日 | 1995年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 商業科 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒530-0037 |
大阪府大阪市北区松ヶ枝町1-38 | |
外部リンク | 大阪市立中央高等学校 |
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大阪市立扇町第二商業高等学校(おおさかしりつおおぎまちだいにしょうぎょうこうとうがっこう)は、かつて大阪府大阪市北区松ヶ枝町1-38[注 1]にあった公立の商業高等学校。1992年度より、新船場高等学校、天王寺第二商業高等学校、西第二商業高等学校とあわせて大阪市立の定時制商業高校4校との統合により、大阪市立中央高等学校となった。
概要
- 大阪市立扇町商業高等学校の定時制課程という形で置かれていた。
- 最終的には、商業科のみだったが、かつては普通科や家庭科も置かれていた。
沿革
- 1935年 大阪市立扇町商業学校内に夜間部を置く。
- 1945年6月1日 校舎を大阪市立堀川国民学校に移転。
- 1946年11月1日 校舎を大阪市立北野国民学校に移転。
- 1948年 4月1日 学制改革により大阪市立扇町第二商業高等学校が開校。商業科ほか普通科・家庭科を置く。
- 1949年 9月25日 校舎を大阪市北区堂島西2番地にある大阪市立扇町商業高等学校の校舎内に移転。
- 1957年 2月24日 普通科を廃止。
- 1957年 3月31日 大阪市立扇町商業高等学校とともに校舎を北区松ヶ枝町5に移転。
- 1986年 9月 新校舎が完成。
- 1991年 この年度の入学生をもって生徒募集を終了。生徒数:男女あわせて176[1]
- 1992年 新船場高等学校、天王寺第二商業高等学校、西第二商業高等学校とあわせて大阪市立の定時制商業高校4校との統合により、大阪市立中央高等学校となる。
- 1995年3月31日 閉校。
設置学科
校歌
- 大阪市立扇町第二商業高等学校校歌:廣橋一男が作詞、古関裕而が作曲をした[2][4]。
- 校歌 1、昇る朝日を迎えては 世界の商都大阪に 額に汗を流しつつ 勤めは人の命ぞと ああ誇りもて 励みなば理想を高く掲げなん
- 2,夕べの星の輝けば 楠木生うる学び舎に たゆむことなき心もて 励み学は身の幸ぞ ああ世の道を照らすべき歓喜に胸は躍るべし
クラブ活動
- ソフトボール部が、1980年の「第30回大阪高等学校総合体育大会定通の部」で優勝、1981年の第31回大会で3位の実績がある。また、1980年および1981年の大阪市立大会ではそれぞれ優勝した実績がある[2][5]。
- ほか、柔道部や体操部、卓球部、バレーボール部がとりわけ活発だった[2][5]。
著名な出身者
関連項目
出典
- ^ 『全国学校総覧』(1992年度版、1991年)p189より。
- ^ a b c d e 出典:『理想を高く揚げて 50周年記念誌』(大阪市立扇町第二商業高等学校発行、1986年)
- ^ a b p12より。
- ^ p10より。
- ^ a b p108より。
注釈
大阪市立扇町第二商業高等学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 15:17 UTC 版)
「大阪府立中央高等学校」の記事における「大阪市立扇町第二商業高等学校」の解説
大阪市立扇町第二商業高等学校は大阪市北区松ヶ枝町にあり、大阪市立扇町商業高等学校と敷地を共有していた。 同校は1935年に夜間課程の大阪市立扇町第二商業学校として開校した。開校当初は北区西扇町・大阪市立扇町商業学校(大阪市立扇町総合高等学校の前身)内に併設していた。校舎を新設の大阪市立医学専門学校(大阪市立大学医学部の前身)に明け渡すことになったため、1945年に堀川国民学校(現在の大阪市立堀川小学校)、次いで北野国民学校(戦災で廃校)内に移転した。 学制改革により1948年に大阪市立扇町第二商業高等学校となった。新制高校発足当初は商業科のほか普通科・家政科を併設する総合制高校だった。しかし普通科と家政科は短期間で廃止されている。 総合制高校になったことを受けて、1949年に北区堂島西町(現在の堂島3丁目)・大阪市立扇町高等学校内に移転した。しかし扇町高等学校は普通科単科の高等学校(当時)であり、総合制が廃止されて商業科単科となった扇町第二商業にとっては専門的な設備が十分とはいえない状況だった。このため、扇町高校の中之島への移転を機に、1957年に北区松ヶ枝町・扇町商業高等学校内に移転して同校と再び校舎を共有するようになった。
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