大阪市立摂陽中学校とは? わかりやすく解説

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大阪市立摂陽中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/14 03:47 UTC 版)

大阪市立摂陽中学校
大阪市立摂陽中学校
北緯34度37分12.6秒 東経135度32分45.2秒 / 北緯34.620167度 東経135.545889度 / 34.620167; 135.545889座標: 北緯34度37分12.6秒 東経135度32分45.2秒 / 北緯34.620167度 東経135.545889度 / 34.620167; 135.545889
過去の名称 大阪市立東住吉第一中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 大阪市
設立年月日 1947年
共学・別学 男女共学
学校コード C127210001122
所在地 547-0033
大阪市平野区平野西3丁目4番7号
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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大阪市立摂陽中学校(おおさかしりつ せつよう ちゅうがっこう)は、大阪府大阪市平野区にある公立中学校

1947年に開校した。校名は、学校の位置が旧摂津国の南側(陽)に位置することが由来となっている[1]

沿革

学制改革と同時に、当時の東住吉区(のち東部が平野区として分区)で最初の4中学校のうちの一つ、大阪市立東住吉第一中学校として現在地に開設された。学校敷地は、高等科単独の国民学校だった旧大阪市広野国民学校(大阪市平野高等小学校)の敷地を転用している。

創立当初の校区は、喜連平野西南百済東田辺の4小学校の校区だった。

また分校として、南河内郡国分町に大阪市立長谷川学園中等部を設置している。長谷川学園内の分校は翌1948年、大阪市立長谷川中学校として独立した。

大阪市の方針により、「区名+番号」の仮称で出発した新制中学校については、1949年度より一斉に、番号での校名をやめて学校所在地の地名などを取り入れた正式校名へと改称することが1949年2月に打ち出された[1]。この際、地名から校名を「平野中学校」にする案も検討されたが、平野にはもう一つ別の中学校(東住吉第二中学校=現在の大阪市立平野中学校)があったことで、希望が競合した。競合を避けるため、摂陽中学校(当時の仮称は東住吉第一中学校)は平野だけでなく喜連地区も校区にしていたことなどを考慮して、「平野」の名前は現在の平野中学校に譲り、摂陽中学校の名称にした[1]

その後東住吉第五(現在の中野)、喜連の2中学校を分離した。

年表

通学区域

交通

脚注

  1. ^ a b c 『研究紀要第7号 戦後大阪市教育史(II)』大阪市教育センター、1986年、173-181頁。 

関連項目

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