大赤斑の観測
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 06:20 UTC 版)
大赤斑を最初に観測したのは、1664年5月にこれを記述したロバート・フックであると言われるが、フックのスポットは別のベルトのスポットであった可能性がある。より確からしいのは、翌年のジョヴァンニ・カッシーニによる「永続的なスポット」との記述である。可視性の変動により、カッシーニのスポットは1665年から1713年まで観測された。 1700年頃、ドナート・クレーティによって描かれ、バチカンに展示された絵画が、木星のスポットに関する小さな謎となっている。これは、様々なイタリアの風景の背景として拡大された天体が描かれた一連の作品の一つで、その全ての作品の監修を天文学者のユースタキオ・マンフレディが務めた。クレーティの絵画は、これまで知られている中で、大赤斑を初めて赤色に描いているが、19世紀末になるまで、木星上の構造が公式に赤色とされたことはなかった。 現在の大赤斑は、1830年以降に初めて観測されたものであり、1879年に顕著になってから詳細に研究されるようになった。17世紀の発見から、1830年までの118年間の長いギャップの間、元々のスポットが消えて新たに形成されたのか、一時的に見えにくくなったのか、観測記録が単に欠けているだけなのかは不明である。より古いスポットは現在のものに比べ、観測の歴史が短く、ゆっくり動いているが、その理由は分かっていない。 1979年2月25日、ボイジャー1号が、木星から920万kmの地点から大赤斑の最初の詳細な画像を地球に伝送した。直径160kmまでの雲の詳細を見ることができた。大赤斑の西(左)に見える色彩豊かで波打った雲のパターンは、スポットの波紋領域で、ここでは非常に複雑な雲の動きが観測される。
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