大正時代から第二次世界大戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 03:35 UTC 版)
「日本の道路」の記事における「大正時代から第二次世界大戦まで」の解説
1919年(大正8年)に道路法が初めて制定され、道路は国道、府県道、郡道、市道、町村道の5種に分類され、国道も再編成が行われた。なお郡道は1923年(大正12年)4月1日に郡制が廃止されたことにより府県道及び市町村道に昇格及び降格となった。軍港や基地に達する国道路線が多く置かれ、軍事国道と呼ばれる国道も設置された。国道に関しては、建設費および改修費は国が負担し、その他の道路は地方公共団体が負担することになっていた。1920年(大正9年)、日本初の道路整備長期計画である「第1次道路改良計画」が策定される。しかし、その3年後に関東大震災が発生し、帝都復興が優先された結果、地方道路の整備は更に遅れてしまった。日本初となる本格的な舗装道路、つまり現在でいう本舗装が誕生したのは、1926年(大正15年)に完成した東京・品川 - 横浜市間の約17 kmと、兵庫県尼崎市 - 神戸市間の約22 kmの道路であった。 この時代には、ドイツのアウトバーンを参考に、産業・軍事用の高速道路計画と主要道路の改良策も検討されたが、1937年(昭和13年)の日中戦争突入にはじまり、1941年(昭和16年)の太平洋戦争(大東亜戦争)勃発という事態になると、戦争が最優先されて道路整備は実現不能なものとなっていた。
※この「大正時代から第二次世界大戦まで」の解説は、「日本の道路」の解説の一部です。
「大正時代から第二次世界大戦まで」を含む「日本の道路」の記事については、「日本の道路」の概要を参照ください。
- 大正時代から第二次世界大戦までのページへのリンク