大正時代の振興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 11:09 UTC 版)
1913年9月1日に聚楽館が誕生する。こけら落としには帝劇専属の女優10人・女優生徒11人が共演した。また1917年8月には神戸の松竹で唯一となる松竹劇場が湊川公園の南にオープンする。 村嶋歸之の「わが新開地」には、『市電気局のとある課長によると、1922年には市電新開地聚楽館前で乗降する客だけで1日4万人、また新開地の劇場に入る客だけでも年間400万人に達した』とある。 また、この頃は16000人にも上る川崎造船所の職工が午前5時と午後3時に通勤のため新開地を通過しており、村嶋歸之は「わが新開地」でこれを(女の行き来を「赤き流れ」と呼ぶのにたとえて)「青き流れ」と称した。かつて川崎造船所で働き戦後は明治時代の風景画を描いた武文彦は「まるで日本中の労働者が一度にあふれ出たような光景でした」と語っている。この「青き流れ」は米騒動や川崎・三菱造船所争議でも動くことになる。 1924年3月4日には神戸タワー(新開地タワー)が誕生する。
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