大正時代から終戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 09:13 UTC 版)
「土浦市立土浦幼稚園」の記事における「大正時代から終戦まで」の解説
大正から昭和初期には、土浦幼稚園は安定した経営が行われる時代を迎えた。この間には園長が発案した大型の積み木がフレーベル館によって開発され、マリア・モンテッソーリの教具を購入するなど、教材研究を進めた。またフリードリヒ・フレーベルの肖像をこの時期に購入している。1924年(大正13年)に園舎を新築する。この園舎はモンテッソーリの「子どもの家」を模範としてデザインされた。これは吉川コハルが提唱したもので、園児の親の了承を取り、園庭を運動場ではなく庭園にすることや床板は園児の遊戯や雨の日に室内で激しい活動をしても塵を巻き上げないよう厚い板を使うなど、細部にまで気を付けた設計がなされた。 1927年(昭和2年)には土浦小学校にアメリカ合衆国から「青い目の人形」が贈られ、後に土浦幼稚園に飾られることとなった。青い目の人形は日本各地に贈られたが、太平洋戦争中に敵国の人形として多くが処分されてしまい、土浦幼稚園に残るものは貴重な存在である。 1935年(昭和10年)6月、それまで土浦小学校の附属幼稚園だった土浦幼稚園は土浦町立土浦幼稚園として独立、1940年(昭和15年)に現在の土浦市立土浦幼稚園に改称した。
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