大正時代に発見された磨製石斧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 07:33 UTC 版)
「石野遺跡」の記事における「大正時代に発見された磨製石斧」の解説
1920年(大正9年)、東京大学教授の中井猛之進らは、小笠原諸島とマリアナ諸島方面の植物調査に赴いた。その際、北硫黄島の調査も試みたが、海が荒れたために上陸は出来なかった。しかし北硫黄島駐在の警察官が、艀で北硫黄島で発見された磨製石斧を中井らに届けたとされる。 北硫黄島出土とされる磨製石斧は3つ現存しており、「北硫黄島石野平之丞献」と書かれた墨書も遺されている。言い伝えでは石斧は島内のサトウキビ畑の中から発見されたとされ、石野村付近のサトウキビ畑から発見された可能性が指摘されている。 北硫黄島から出土した磨製石斧は、マリアナ諸島の磨製石斧との関連性が指摘されており、同様の石斧が父島の旧家で敲石として用いられていたことが1983年(昭和58年)に発見され、また八丈島からも同様の磨製石斧が発見されており、ともにマリアナ諸島との関連性が指摘されている。
※この「大正時代に発見された磨製石斧」の解説は、「石野遺跡」の解説の一部です。
「大正時代に発見された磨製石斧」を含む「石野遺跡」の記事については、「石野遺跡」の概要を参照ください。
- 大正時代に発見された磨製石斧のページへのリンク