大学卒業~京城帝国大学時代とは? わかりやすく解説

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大学卒業~京城帝国大学時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 06:41 UTC 版)

藤塚鄰」の記事における「大学卒業~京城帝国大学時代」の解説

明治41年(1908)大学卒業後、旧制第八高等学校(名古屋大学)教授となる。大正10年(1923)に中国留学し大正15年(1928)に日本領朝鮮京城(ソウル)帝国大学教授就任就任当時朝鮮総督齋藤實(奥州市水沢出身第三十代首相)。 京城帝国大学における韓国儒教研究は、藤塚鄰教授ら3名により発展。鄰は「日鮮清の文化交流」「清朝文化東伝の研究」等を著し東アジア各国敬意持っていた。 齋藤實昭和2年(1927)朝鮮総督退任したが、昭和4年(1929)再び就任した齋藤総督京城帝国大学との連携試み京城帝国大学漢学科目をおき、儒教教育任せようとした。しかし斎藤総督構想実現せず韓国儒教教育斎藤構想した明倫学院回されるようになった京城帝国大学支那哲学講座藤塚教授ら2名は明倫学院講師担当した。 (国会図書館人名辞典大阪毎日朝鮮版) 帝国政府朝鮮において儒教利用政策目論んでいたが、斎藤實総督と鄰らが行ったのは、通常の儒学教育であったとみられている。 昭和15年(1940)京城帝国大学定年退職帰国政治外交民族超えた儒学思想持っていた鄰は、自らの世界観基づいた儒学教育行っていた逸話残っている。 第二次世界大戦前日本領朝鮮にて混みあった汽車乗った際、「朝鮮人立てと言った日本人たしなめ帰宅後家族に道義反することがあったと話をしたことが親族伝わっている。 また、後述する戦時中李氏朝鮮後期文人金正喜(キムジョンヒ・1786 - 1856年に関する逸話や、岩手県一関第二高等学校での講演内容から信念窺い知れる京城帝国大学教授在職中昭和12年1月18日藤塚鄰昭和天皇漢書御進講を行う。鄰は天皇陛下御進講したことを大変名誉に感じていた。感激のあまり頂いた菓子をすぐに食べる事ができずに暫く神棚供え、いざ食べようとした時には傷んでおり食べられなかったことが親族伝わっている。

※この「大学卒業~京城帝国大学時代」の解説は、「藤塚鄰」の解説の一部です。
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