大型高速電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 22:52 UTC 版)
1929年の開業当初より、狭軌鉄道の電車としては当時日本最大級の、強力な全鋼製電車を投入し、高速運転を実施した。 大出力モーターを装備した大型電車によって、線形の良好な高規格新線で高速運転を行う、という米国のハイスピード・インターアーバン(高速都市間連絡電車)流のコンセプトそのものは、1927年に開業した京阪電気鉄道傘下の新京阪鉄道(現・阪急京都本線)と共通のものである。米国のインターアーバンは、自動車に押されてすでに衰退期に入っていたが、シカゴ都心への直通のために、線形や車両規格の改善を図ったノースショアー線、サウスショアー線など、大都市近辺の路線を中心に路線や車両の高規格化を行って生き残りを図るケースがあり、これを見習ったものと考えられる。 主力車となった全長19mの大型電車モヨ100形・モタ300形等は、腰高で屋根が高く、窓も小さく、さながら装甲車両を思わせる物々しい外観を備えていた。実際にきわめて頑丈な構造で、電動車では公称値で47t - 48tもの超重量級に達したが、電動車1両で600kW(800日本馬力)の大出力は、それを補って余りあるものであった。この系統の電車群は1937年までに合計48両が製造されている。 その電装品は東洋電機製造製の国産品で、当時の電車用としては日本最強クラスの定格出力149.2kW(≒200馬力)を発揮する大出力モーターをはじめとして、きわめて高度な仕様であった。また自動空気ブレーキは、アメリカ・ウェスティングハウス・エア・ブレーキ社(Westinghouse Air Brake Co.:WH社、あるいはWABCOとも。現ワブテック社)の設計になる長大編成対応ブレーキ(U自在弁)を特に採用、当時の日本の電車が通常でも最長4両編成程度が限度だったところ、阪和では6両編成以上が可能であった。 これらのスペックは、軌間の相違はあったものの、新京阪鉄道が開業時に投入した大型大出力電車P-6形(デイ100形)と概ね共通で、経営・技術両面における京阪の影響の強さを推察できる。
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