東横学園大倉山高等学校
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東横学園大倉山高等学校(とうよこがくえんおおくらやまこうとうがっこう)とは、神奈川県横浜市にあった私立の女子高等学校。学校法人五島育英会を母体とする東横学園に属していた。2008年4月1日閉校。
- ^ 「シリーズ わがまち港北」第142回 舞台は大倉山高等女学校 -高野平の物語-(財団法人 大倉精神文化研究所)
- ^ 昭和18年4月13日付官報(第4873号) 文部省告示第三百六十七号
- ^ “大倉山から綱島へ歩いてみよう”. 公益財団法人 大倉精神文化研究所. 2020年5月11日閲覧。
- ^ “分譲マンション インプレスト大倉山”. Good Design Award. 2020年5月11日閲覧。
- ^ “「インプレスト大倉山」が2014年度グッドデザイン賞を受賞。”. 双日新都市開発株式会社 (2014年10月1日). 2020年5月12日閲覧。
- ^ a b c d e [[森伸之 |森伸之]]『女子高制服図鑑 首都圏版 神奈川・千葉・埼玉』弓立社、2000年4月10日。ISBN 4-89667-000-0。
- ^ a b 森伸之『東京女子高制服図鑑』(昭和62年度版)弓立社、1986年11月25日。ISBN 4-89667-002-7。
- ^ 森伸之『東京女子高制服図鑑』(1994年度版)弓立社、1993年12月25日。ISBN 4-89667-365-4。
- ^ “同窓会室展示@都市大等々力文化祭レポート(その2)”. 校長日記<嗚呼大倉山五十年>東横学園大倉山高等学校 (2011年10月14日). 2020年5月11日閲覧。
- ^ “同窓会の部屋@10月6ー7日都市大等々力文化祭”. 校長日記<嗚呼大倉山五十年>東横学園大倉山高等学校 (2012年10月6日). 2020年5月11日閲覧。
- 1 東横学園大倉山高等学校とは
- 2 東横学園大倉山高等学校の概要
- 3 制服
- 4 卒業生
大倉山高等女学校
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あらし達が通っていた戦時中の高等女学校。現在の高校とは違い、裕福で身分が高い家の子供しか入学できなかった。現在は廃校となっている。校舎自体は戦時中そのままの形で残っているが、作中の建物外観や内観の描写には反映されていない。同期の女生徒にとってあらしとカヤは憧れの存在で、演奏会でやよゐの伴奏でカヤがローレライを唄っている。なお、60年前の時点で防空上の観念からセーラー服やスカートなどの制服着用は自重され、女生徒は上はセーラー服か着物で下はモンペ姿になっている。そのため、現代から来たあらしが制服姿で学校内を歩くと級友から注意される場面がある。横浜市港北区に同名の高等女学校が存在したが、本作とは無関係である。
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