多角化の失敗と競争激化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 06:12 UTC 版)
「東京ストアー」の記事における「多角化の失敗と競争激化」の解説
多角化の一環として進められた中国事業の失敗により約10億円の赤字を抱えて財務面が悪化したため、創業者の箕田能昌から経営を引き継いだ娘婿の箕田秀夫はその建て直しに取り組むなど経営の足かせとなった。 また、店舗展開においても1994年以降に大型店化を進めるなど食品スーパーの郊外化・大型化への対応が競合他社よりやや遅れ、北陸随一の豊かな商圏に慣れすぎて価格競争力に劣るとされる金沢を地盤とする地場スーパーとの競争しか経験がなかった。 そこへ、不況の長期化や人口が伸び悩む中で富山県で激しい競争を繰り広げてきたアルビスや大阪屋ショップが進出してきたほか、石川県七尾市を地盤とする山成商事(店舗名どんたく)、岐阜県に本拠を置くバローといった圏外からの食品スーパーの進出が相次いだため競争が激化し、2006年(平成18年)にはアルビスと大阪屋、バローの3社だけでも北陸で50店舗近くの出店構想を持つ全国有数の食品スーパー激戦地となった。 そうした競争激化を受けて小松市の既存店隣接地に2006年(平成18年)11月23日に業務用スーパーを全国展開しているトーホーのフランチャイズ第1号店としてA‐プライス東京ストアー小松幸町店を開店して新業態で独自性を打ち出すなどの対応策を採った。 約100メートルしか離れていない場所へアルビス寺井店が進出したマリータウン体養店や直線距離で約1キロの場所に大阪屋ショップ近岡店が進出した三ツ屋店のように競合他社の打ち出す低価格戦術に敗れる状況が生じるなどこうした競争の激化を受けて売上高が減少し、2011年3月期には売上高約151.72億円で1億円を超える損失となった。
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