変更作業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 13:19 UTC 版)
変更実施前から準備段階として、幹線道路ではあらかじめ左側通行用の標識や信号を設置した上で、それらをカバーで覆い隠しておき、変更作業時にその覆いを外して右側通行用の標識にかぶせ直す方法が用いられた。また、車線のレーン・右左折表示などの道路標示も、左側通行用の標示をあらかじめ描いた上で黒のカバーテープで覆い、変更作業時にバーナーによってテープを除去するという方法が取られた。これら覆いやカバーテープを用いた方法は世界初であり、「カバーアンドテープ方式」や発案者の名を取って「久高方式」と呼ばれ、短時間で効率よく作業を行うことを可能にした。その他、ガードレールを左側通行に併せて重ね直したり、交差点の改良、交通の改善を兼ねて道路の拡幅を行った区間もあった。 1978年7月27日には、接近した台風8号に伴い、信号機や大型標識のカバーが先行して撤去された。 7月29日22時より沖縄県全域で緊急自動車を除く自動車の通行が禁止され、沖縄県警察本部から県内の警察署への無線連絡により、一斉に変更作業が開始された。変更作業は翌30日6時までの8時間で行われた。変更作業に際しては約800人の作業員と約300台の車両が動員され、約19億円が投資された。その間、新標識から旧標識へ目隠しの移動、新白線を隠していたテープの除去などが行われた。30日4時18分、沖縄県の管理する全ての道路で切り替え工事が終了。5時50分、一旦解除されていた自動車の通行規制が再度行われ、全ての車が停車したのち右車線から左車線に移動。6時に再びサイレンが鳴り、多くの県民が見物する中で、止まっていた車が左車線を走行し始めた。 変更日以降、カバーを掛けた旧標識の撤去、左側通行に適した反射材の設置、土嚢などで仮設された交通島の恒久化などが行われ、変更作業の総仕上げを行った。 わずか8時間という短時間での一斉切り替えが可能だった要因のひとつとして、当時の沖縄県には路面電車がなかったことが挙げられる。路面電車を自動車に合わせ右側通行から左側通行にするには、全ての車両と乗降場の構造を変更する必要がある。
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