〒380-0877 長野県長野市塩生
塩生
名字 | 読み方 |
塩生 | しおせ、しおにゅう |
塩生
姓 | 読み方 |
---|---|
塩生 | しおいけ |
塩生 | しおにゆう |
塩生 | しおの |
塩生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 19:44 UTC 版)
本荘地区中部にあたる。かつては「しょうなす」とも呼ばれた。古代より製塩が行われてきた地であり、地名もそれに由来しているとされる。元は海に面していた古い集落だが、水島工業地帯造成のため地先を秘録干拓・埋め立てし、これにより西方の水島灘にあった高島は、現在陸続きとなっている。 また干拓・埋立以前は現在の幹線道路以西には古い砂丘が連なり、大きいものでは長さ2m、幅200mほどあるものもあった。この砂丘からは古代における製塩作業に使用した師楽式土器が出土している。さらに砂丘より内側にあった低い水田の表土下からは粘土で固められた塩田跡が埋まっていた。また砂丘にあった松林の中には製塩と関わりのある塩釜明神がまつられていた。 北部にある金浜(かなはま)集落は、古代製塩の遺地であり、金星は綿作地となり海岸沿いに綿畑が多かった。同じく北部にある宇頭間(うとうま)集落は、元は半農半漁の家が多く、梅栽培が盛んで梅林が多く存在した。現在は宅地化により減少している。当集落より西方へ長く突出した本太岬(もとふとみさき)は、児島西海岸第一の要害として中世には本太城が築かれた。現在は陸地化し、先端部の天神ケ鼻が岬状となっているのみである。 前述の高島は、昭和30年頃からの水島工業地帯の増設工事で陸続きとなった。島の東20戸ほどの集落があったが、集落内の船着き場は西側へと移動した。高島は吉備高島宮の比定地のひとつとされ、高島神社(現在の産土荒神社)が古くから祭られている。また古墳や古代遺跡も発見されている。
※この「塩生」の解説は、「本荘」の解説の一部です。
「塩生」を含む「本荘」の記事については、「本荘」の概要を参照ください。
「塩生」の例文・使い方・用例・文例
- >> 「塩生」を含む用語の索引
- 塩生のページへのリンク