堀江の商業地としての復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 05:11 UTC 版)
「堀江 (大阪市)」の記事における「堀江の商業地としての復活」の解説
堀江地区に西大橋駅が開業し、さらに木津川を挟んだ近隣地域に大阪ドームが開業した1997年(平成9年)頃を転機に、堀江は再生への道を歩み始めた。 廃業寸前だった立花通りの家具屋はバブル崩壊後、団塊の世代を中心とした息子たちの代の経営者に代替わりし、1992年頃から「オレンジ・ストリート」の愛称やフリーマーケット、ベストカップルコンテストなど若者向けの催しを企画し始めたが、西横堀川(阪神高速1号環状線)の東側のアメリカ村からは若者がなかなか流れてこない状態で、家具を購買させるには至らなかった。それでも催しや「家具フェスタ」など、「家具の町」を呼びかけ続けて模索するうちに好機が到来した。 かつて何もなかったアメリカ村で若者向けの店を開いた日限萬里子らが、堀江公園があり緑も比較的多い堀江に注目して、ゆったり過ごせるようなカフェを開業させたこと アメリカ村の制御不可能に陥った雑踏や騒音と訪れる客層の低年齢化を嫌った若者層が新しくできる堀江のカフェや店舗群に注目し始めたこと さらに決定的だったのは立花通りの家具店跡に相次いで東京から大型セレクトショップが進出したことだった。 1998年頃には大手レコード会社ビーイング傘下のGIZA studioが進出起業し、ライブハウスやカフェなどの展開また不動産事業として次々にデザイナーズの高級マンションの建設や周辺ビルの購入(2021年現在、この堀江周辺の商業ビルや高級デザイナーズマンションはこのビーインググループの管理・所有が大半を占める)などで短期間で劇的に堀江を若者の街へと変化させた。 2001年頃には大阪へ進出する店舗が堀江に矢継ぎ早に開業し、地元勢もカフェやギャラリー、衣料店の複合店舗などを次々開店した。立花通りの人通りは激増した。旧来の家具屋も、セレクトショップのテナントビルに移行する者や、若者向けのインテリア店や高級インテリア店として改装する者が現れ、再び立花通りは家具選びの選択肢として浮上するようになった。SOHOや小規模事務所なども新規に開業し、デザイナーらの拠点としても機能し始めた。 この結果、大阪の地価が下がり続けた1990年代後半、勢いのある商業地として評価された堀江の四つ橋筋沿いの地価は下げ止まるようになり、2000年頃より地価が上昇しており、2021年現在は地価の高い土地となっている。また、治安も以前と比べて大幅に改善された。
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