堀江の町人の文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 05:11 UTC 版)
「堀江 (大阪市)」の記事における「堀江の町人の文化」の解説
この地の町人の中にはやがて、大坂の他の街とも共通することであるが、家業の傍ら趣味で学問を始め、哲学や自然科学に大きな功績を残すアマチュア学者も増えた。 特に、堀江の酒造家・坪井屋吉右衛門こと木村蒹葭堂(きむらけんかどう、1736年~1802年)は、少年時代から本草学を研究し文人画家でもあった。特に、自宅に日本だけでなく漢籍や西洋の博物学書籍、中国の書画、動植物や鉱物の標本、地図など膨大な資料を集めた図書館や博物館のようなものを作っていた。伊藤若冲に代表される、諸国より大坂に来た学者、文人、画人は、蒹葭堂の収集物を閲覧し研究するために堀江を訪れ互いに歓談・議論をし、全国のさまざまな知識人の出会いの場、学問や知識の情報交換の貴重な場となっていた。
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