地理学史
地理学史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 03:37 UTC 版)
ブナオ峠に至る道路は、加賀平野部と越中五箇山を結ぶ間道で、真宗教団の布教・連絡路、物資の交易ルートを兼ねた。特に江戸期には五箇山で生産された塩硝が、ブナオ峠を越えて金沢の土清水の塩硝製造所へ運ばれた(富山県道54号福光上平線)。 かつての山域の道は現在と若干異なっていた。五万分一地形図『西赤尾』陸地測量部(明治42年(1909年)測図)によると、山頂部や尾根には道がなく、石川県側の倉谷集落から倉谷川沿いを登り、月ヶ原山・多子津山をかすめ、大門山の北側斜面を通りブナオ峠に至る道があった。ただこの道は登山道というよりも、世俗的な交易路と捉えるべきだろう。この道は、五万分一地形図『下梨』陸地測量部(昭和5年(1930年)修整測図)では消えている。 一方で、『皇国地誌』・『石川郡誌』によると、かつて石川県側から「登路」があったとしている。この「登路」とは、先の明治42年測図地形図のものと一致するか、それとも今日で言うバリエーションルートに近いものかは定かでない。
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