地名の由来・ゆかりの文学・伝説
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「ヴェルトハイム」の記事における「地名の由来・ゆかりの文学・伝説」の解説
Wertheimの前半部は、古高ドイツ語 ≫werid≪、中高ドイツ語 ≫wert≪である。現在のドイツ語で表現すれば、≫Flussinsel≪「川中島」となる。それゆえに、この地名は、タウバー川のマイン川への合流点とマイン川左岸の間の岬状の土地を指すと考えられたが、元々のヴェルトハイム、すなわちマイン右岸の町、今日のクロイツヴェルトハイムにもその解釈が当てはまるかどうかは分からない。 ドイツ中世の詩人ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハはその主著『パルチヴァール』、第4巻冒頭において、主人公が後に妻となる女王の治める国の都にやってくる様子を描いている。その町は、彼女が求婚を拒否した相手の王によって包囲され、食糧難に陥っていた。町の苦境の程度を、詩人は「私の主君ヴェルトハイム伯もここで傭兵となるのは嫌がったであろう」と表している。ヴェルトハイム伯は詩人の後援者であった可能性が高い。 ヴェルトハイムにまつわる伝説は以下のとおりである。 「ヴェルトハイムでのルター博士」と題する伝説は次のようである。ヴォルムス国会に向かう旅の途上、ルター博士はヴェルトハイムにもやってきた。当地では「アードラー亭」(鷹亭)に立ち寄った。そこで食べた焼きソーセージの勘定を払う必要があった。彼はエイヒェルシュタイゲ(樫木坂)から町を見たとき、言った。ヴェルトハイムは火事の心配はない、しかし水に沈むだろうと。 「ヴェルトハイムの牡鹿」と題する伝説は次のようである。前の世紀のこと、一頭の牡鹿がヴェルトハイムの古い山城に迷い込んできた。領主カール・トーマスは谷の宮廷から牡鹿の姿が見えた。牡鹿がぶどうの木を跳び越えたときに、公は宮殿の最上階から牡鹿を一発で仕留めた。これを祝して公は従者のために祝宴を催し、牡鹿の肉が食された。牡鹿が仕留められた場所には、ぶどうの木に跳び越える牡鹿の像が建てられた。この像は今も立っている。濠の名前は「ヒルシュグラーベン」(牡鹿濠)、その門は「ヒルシュトア」(牡鹿門)と呼ばれると。 「ヴェルトハイムの城のこと」と題する伝説は次のようである。城の文庫には一本の革の帯が保管されている。それを帯びる者は、狩猟の際に幸運に恵まれ、予言する能力と野兎に変身する能力を得る。また、城には300年毎に果物で一杯の袋が見られる。袋の口は空いている。幾つか家に持ち帰ると、金の粒に変る。城塞の上には、巨人塚が見られる。火薬庫の近くには、樹冠が篭のように編まれた小さな木が立っていた。夜になると魔女がそこに座っていたが、今は切り倒されていてないと。
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