土蔵造の普及とは? わかりやすく解説

土蔵造の普及

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 05:51 UTC 版)

町屋 (商家)」の記事における「土蔵造の普及」の解説

明治14年(1881年)2月25日に、東京府知事警視総監によって防火規則甲第弐拾七号」が布達された。内容大きく二つ分けることができ、一つ主要道路に面した建物に対して煉瓦石造土蔵造3種類に改造することで、もう一つ現在の千代田区中央区家屋に対して瓦屋根など不燃物質で屋上葺くことを義務づけていた。この規則罰則もある厳しいもので、以降東京大火見舞われることはなくなった。また、規制前は2、3割しかなかった土蔵造町屋割合が、規制後で100パーセント近くまで達し明治中期東京には黒塗り店蔵が立ちならぶ景観生まれた明治期店蔵は、幕末頃に比べ板葺きの庇がほとんどなくなったまた、2階開口部形式観音開きより格子付けた横長窓の割合高くなっている。これは2階総二階化伴って2階座敷設けられるようになったためと考えられる堀越商店 和泉屋 内藤清八 土蔵造町並み(日本橋付近) 土蔵造町並み(日本橋区旅籠町) 東京よりもやや遅れて明治中期から後期にかけて、店蔵土蔵造店舗各地建設されている。埼玉県川越市富山県富山市高岡市山町筋)・伏木町には、大火契機黒漆喰仕上げ土蔵造町並みつくられた。そして、町並みをつくるほどではないまでも、土蔵造店舗明治20年代後半から40年代にかけて全国各地建設されている。江戸で生まれた店蔵は、土蔵発祥の地である関西地方にも逆輸入されるが、東京のものとは異なり外壁白漆喰仕上げ通り土間形式であった大正初年川越南通明治末期富山市・東四十物町通り 明治末期高岡市坂下町 明治末期伏木町湊本町通り 小西儀助商店(大阪府大阪市)

※この「土蔵造の普及」の解説は、「町屋 (商家)」の解説の一部です。
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