総二階化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 05:51 UTC 版)
近代に入ると都市に人口が集中し徐々に居住面積が不足したことで、町屋のみならず住宅全般で2階に住居空間を作る家が増加した。また、住宅における間取りの機能分化が進み、複数の部屋が必要になったこともその一因となった。明治に入ると主人の居室と客室が分離され、十分に建坪の取れない都市住宅では客室を2階に取るようになる。1階の床の間つきの座敷と2階のそれを比べると、2階の方が形式が整い規模も大きい。しかも2階の客座敷は次の間とセットになった続き間座敷形式を取っていた。当時は結婚式なども自宅で行っていたため、社会的なつきあいの広い家では多くの人を呼べる広さが必要だった。 また、2階の面積を増大しようとする傾向は、正面の意匠形式をも変えることとなった。1階の正面に下屋が張り出し、2階正面が約半間後退する形式の町屋は、2階面積の増大傾向に伴いこの後退部分も室内に取り込み、1・2階正面を同一面にする形式が造られた。特に敷地を有効に使おうとする長屋の形式を持つ町屋に多く採用されるようになり、1階正面上部には庇が付けられた。この庇は時に道路境界を越えて道路に突出することもあったが、大正8年(1919年)の「市街地建築物法」の制定によって道路境界を越えた1階の庇は付けられないことになった。都市部では、道路ぎりぎりに建物を建てて正面に突出部分を出さない、銅板張りの看板建築が造られるようになり、正面に軒を出す伝統的な町屋の形式は徐々に減少していった。 看板建築 庇の出を押さえた町屋
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