総主教庁の在所の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 05:54 UTC 版)
「コンスタンティノープル総主教庁」の記事における「総主教庁の在所の変遷」の解説
360年まで:ハギア・イレネ教会(英語版)(アヤイリニ)なお、ハギア・イレネ教会は532年のニカの乱で焼失して再建されているので、現存している建物と主教座が置かれていた時代の建物は別の建物である。 360年 - 1204年:ハギア・ソフィア大聖堂ハギア・ソフィア大聖堂もニカの乱で焼失した後に再建されているので、現存している建物と532年まで主教座が置かれていた建物は別の建物である。 1204年 - 1261年:ニカイアのハギア・ソフィア聖堂(英語版)第4回十字軍によって東ローマ帝国が一時滅ぼされた際に聖ソフィア大聖堂もローマ・カトリック側の手に落ちたため、総主教庁は亡命政権ニカイア帝国の首都ニカイアへ移っていた。 1261年 - 1453年:ハギア・ソフィア大聖堂 コンスタンティノープルの陥落でハギア・ソフィアがオスマン帝国に接収されたため、移転を余儀なくされた。その後、16世紀末に現在地に落ち着くまでの間、何度か移転している。 1453年 - 1458年:聖諸使徒聖堂(英語版)(現在ファーティフ・ジャミィ(英語版、トルコ語版)が建っている場所にあった) 1458年 - 1586年頃:テオトコス・パンマカリストス教会(英語版)(現在のフェティエ・ジャミィ) 1586頃年 - 1600年頃:聖デメトリオス・オ・カナビス聖堂(ギリシア語: Ἅγιος Δημήτριος Ξυλόπορτας 英語: Church of St. Demetrios Xyloportas) 1600年頃から:現在の聖ゲオルギオス大聖堂 ハギア・イレネ教会 ハギア・ソフィア大聖堂 ニカイアのハギア・ソフィア聖堂 聖諸使徒聖堂 テオトコス・パンマカリストス教会 聖ゲオルギオス大聖堂
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