国外でのプレーをめぐる政策の転換(2013年 - )
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「キューバの野球」の記事における「国外でのプレーをめぐる政策の転換(2013年 - )」の解説
2000年代後半に代表チームの国際大会での成績が低迷してからは国外プロリーグでのプレーを認める動きが始まり、2013年6月12日にミチェル・エンリケスがメキシカンリーグのカンペチェ・パイレーツと期間限定で契約することが承認され、6月22日にはアルフレド・デスパイネが同じくパイレーツと期間限定で契約することが承認される。キューバの内閣に相当する閣僚評議会では、有力選手の相次ぐ亡命や国際試合における代表チームの不振を踏まえて、2013年9月21日にスポーツ選手の待遇や報酬などに関する対応を本格的に協議。スポーツ省によって(国際大会での実績などから)「優秀で国家への貢献度も高い」と認められたベテラン選手が国外でのプレーを希望した場合には、政府による管理の下で、外交上商取引を禁止していない国(日本など)のプロスポーツチームに限って選手の保有権を持つ機関(キューバ野球連盟など)からのリース扱いでプロ契約を結ぶことを認めた。国内の野球選手についても、この政策転換によって、上記の条件に該当していれば亡命しなくても国外のプロリーグで活動することが可能になった。ただし、キューバ野球連盟が引き続き選手の保有権を持つことから、契約上は「キューバ野球連盟がセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルのオフシーズン(4月末 - 11月末)に限って選手を国外のチームに貸し出す」という前提で保有権を当該チームへ譲渡する。そのため選手には、国外リーグのシーズン終了(契約期間の満了)後にセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルでシーズン終了までプレーを続けることや、契約金や年俸から一定の割合に相当する金銭を「国内のスポーツ選手の育成に還元する」という名目でキューバスポーツ省やキューバ野球連盟などへ納付することを求めている。 なお、政策転換を決定した直後の2013年9月25日には、キューバスポーツ体育レクリエーション庁長官のフリオ・クリスチャン・ヒメネスが日本の外務省を訪問。その際に、キューバ国内のプロ野球選手の獲得を希望するNPBの球団に対して、外務省経由で獲得希望選手リストの提出を求めたとされる。2014年には、ナショナルチーム代表の常連であるノルベルト・ゴンサレスとホアン・ペドロソがイタリアンベースボールリーグのネットゥーノ 2・ベースボールクラブと契約したのを皮切りに、国外のプロ球団との契約が相次ぐ。日本では同じくナショナルチーム代表常連のフレデリク・セペダが上記の条件でNPBの読売ジャイアンツと契約し、日本でもキューバ選手のプロ契約が相次ぐ。こうして国外のプロ球団との契約が相次いだことから、セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルの2014-2015シーズンは開催時期を9月21日に早め、国外リーグの開幕に間に合う日程となった。 2018年12月19日、MLB機構と選手会とキューバ野球連盟(英語版)との間で、キューバ人選手が亡命しないで北米球団と契約できる内容の協定に合意。 2022年5月4日、世界野球ソフトボール連盟とキューバ野球連盟はキューバの選手が海外リーグの球団と独自にプロ契約を結ぶことを可能とする内容の歴史的な覚書を締結した。
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