固定編成の考え方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 00:56 UTC 版)
「小田急電鉄の鉄道車両」の記事における「固定編成の考え方」の解説
小田急における固定編成の定義は、山本利三郎の思想が引き継がれているもので、編成でないと営業線上での運行ができないこととしており、編成単位で1両の車両と同じように扱っている。1900形が登場した頃は電動車と付随車で検査周期が異なっていたにもかかわらず編成単位で検査しており、検査の際に編成の中から特定の車両を抜き取った上で代わりの車両を組み込むようなことはしない。また、設計に際しても、電動発電機や空気圧縮機の容量は編成として考え、点検の利便性や重量配分などを考慮し、付随車に補助機器を搭載している例もある。このような事情から、小田急では中長期的に組成を崩さず、編成の変更が行われる際には大掛かりなものとなる。 暫定的な編成内容の変更事例としては、以下の事象があげられる。 4000形 1973年に発生した脱線事故に伴う1800形との連結中止に伴い、3両固定編成の制御車を切り離した上で他の3両固定編成に連結して5両編成で運用。中間車の増備による5両固定編成化まで継続された。 2600形 1991年に発生した多摩線での土砂災害により2両が廃車となったため、急遽未更新の車両の中から2両を選んで6両固定編成として運用。1995年に他の車両から2両を改番して組み込むまで、編成末尾の数字が揃っていなかった。 なお、小田急では1969年から大型8両編成の運行を、1977年から大型10両編成の運行を開始していたが、この時には8両固定編成や10両固定編成は登場していなかった。これは、後述するように分割併合の運用が非常に多く、運用上の制約が大きいと考えられたためである。その後、1991年には編成中の運転台スペースを減らすことで定員増に充てることを目的として10両固定編成が初めて登場し、1992年には各駅停車用に8両固定編成も登場した。さらに、各駅停車用の2000形は8両固定編成のみが製造されており、2代目3000形の一部は8両固定編成で製造された。2代目4000形は10両固定編成のみの製造である。
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