四川省での活動
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同年12月、賀国光は委員長参謀団主任に任ぜられて四川省に入り、以降、四川省と西康地方の軍事・政治の指導にあたった。1935年(民国24年)4月、陸軍中将の地位を授かる。10月、重慶行営参謀長兼第1庁庁長兼川康軍事整理委員会秘書長に任ぜられた。1937年3月、軍事委員会委員長重慶行営副主任(代理主任)となる。 日中戦争勃発後、賀国光は四川省において抗日体制整備に取り組むことになる。1939年(民国28年)1月には、成都行営代理主任に転じ、5月、重慶市市長を兼任した。9月、四川省政府委員兼秘書長となり、省政府主席を兼任した蒋介石に代わって四川省の政務を取り仕切っている。1941年(民国30年)1月、軍事委員会憲兵司令部司令と軍事委員会軍法執行副監に異動した。1944年(民国33年)3月、軍事委員会弁公庁主任となっている。 日中戦争終結後の1946年(民国35年)2月、西昌行轅主任に任ぜられる。9月、重慶行轅副主任兼西昌警備司令兼川康黔辺区辺務設計委員会主任委員に転じた。1948年(民国37年)8月、重慶行轅を改組した重慶綏靖公署で引き続き副主任をつとめ、翌1949年(民国38年)秋には、西南軍政副長官となる。これらの間も西昌警備司令を兼任しており、西康省政府主席劉文輝の監視を蒋介石から委ねられていた。
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