四川文明(古蜀文明)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:49 UTC 版)
宝墩文化(ほうとんぶんか) 成都市新津県龍馬郷宝墩村。紀元前2500年? - 紀元前1700年?(龍山文化) 新石器時代の城壁で囲まれた集落が成都平原の岷江扇状地に複数存在した。最大の遺跡である宝墩遺跡は1990年代に発見され、発掘が続いている。 三星堆文化(さんせいたいぶんか) 四川省徳陽市広漢市南興鎮の三星堆遺跡に代表される。紀元前1700年? - 紀元前1200年?(夏晩期~商後期) 大量の青銅器が出土し、前述の他に目が飛び出た仮面・縦目の仮面・黄金の杖などがあり、また子安貝や象牙なども集められており、権力の階層があったことがうかがい知れる。青銅器については原始的な部分が無いままに高度な青銅器を作っているため他の地域、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}おそらくは黄河流域からの[独自研究?]技術の流入と考えられる。長江文明と同じく文字は発見されていないが、「巴蜀文字(中国語版)」と呼ばれる文字らしきものがあり、一部にこれをインダス文字と結びつける説もある。 金沙・十二橋文化(BC1200~500年、商後期~春秋後期) 晩期蜀文化(BC500~316年、春秋晩期~戦国期)
※この「四川文明(古蜀文明)」の解説は、「長江文明」の解説の一部です。
「四川文明(古蜀文明)」を含む「長江文明」の記事については、「長江文明」の概要を参照ください。
- 四川文明のページへのリンク