四国配電時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 09:18 UTC 版)
1942年4月、東邦電力を含む四国地方の電気事業を統合し、配電統制令に基づく国策配電会社四国配電が発足する。3月28日に開催された同社創立総会に際し、清水は初代社長に選出された。これに伴い四国配電本社が置かれた愛媛県松山市に移住する。以来、太平洋戦争下、戦後を通じて同社の経営にあたる。この間、1942年4月から1945年(昭和20年)5月にかけて日本発送電でも監事を務めている。 戦後の1951年(昭和26年)5月1日、電気事業再編成に伴い四国配電は解散、日本発送電四国支店との再編によって新たに四国電力が発足した。清水は解散まで四国配電の社長に留まり、解散後の清算時には代表清算人を務めた。一方、新発足した四国電力では顧問となり、事業の第一線から退いた。以後松山にて隠居生活を送り、その傍らで日本放送協会 (NHK) の四国地方放送番組審議会委員長など逓信関係の仕事を引き受けた。 1960年(昭和35年)11月、電気事業功労者として藍綬褒章を受章した。1967年(昭和42年)8月5日、四国電力顧問在任のまま死去。
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