四国電力初代会長
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太平洋戦争後は郷里の中津で隠棲していたが、1951年(昭和26年)5月1日、電気事業再編成で発足した四国電力の初代会長に就任した。在任期間は1年間のみで1952年(昭和27年)5月に相談役となっている。 電気事業再編成を主導した松永によると、四国電力では高知県出身の宮川竹馬(元東邦電力専務)が初代社長となったが、宮川は気の荒いところがあるので先輩にあたり温厚な性格の竹岡を会長につけた、という。また三宅晴輝によると、竹岡の選任は松永の私的人事の最たるものという批判を招いたが、松永と人事で対立する日本発送電総裁小坂順造と竹岡が親しい間柄であるため、小坂の了解を得られる人物を選んだ結果だという。 1959年(昭和34年)10月28日、電気事業功労者として藍綬褒章受章。1966年(昭和41年)11月24日死去、90歳没。
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