商用WAD
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1994年から1995年頃、WADは主に電子掲示板とパソコンショップやステージ制作の指示ガイドに同梱されたコレクションCD経由で配布され、後年にはインターネットのFTPサーバーでやりとりされるようになった。DoomソフトウェアのライセンスはカスタムWADから利益が得られないようにすることが必要であり、id SoftwareのメンバーはWADのコンピレーションCD-ROMの配給者に対して何らかの対策を講じていると主張しているが、一部のWADセットとショベルウェアバンドルはそれにも関わらず特定のアウトレットで有償で入手できた。 当時、id Softwareは新しい技術を使った新作『Quake』に取り組んでいたが、Doomコミュニティから最も才能のあるWAD制作者を選び、公式拡張の制作と不正なコレクションCDに対抗するプロジェクトを開始した。チームは21の『Master Levels』を制作し、1995年12月26日にインターネットから任意にダウンロードされた1,830のWAD集である「Maximum Doom」とともにCDで発売された。1996年には、TeamTNTが制作した二つの32ステージのmegawad『Final Doom』が、id Softwareから正式な商品として発売された。 さらに、当時発売されたさまざまなファーストパーソン・シューティングゲームでは、id Softwareの商用ライセンスの下でDoomエンジンを使用していた。これは、本質的にDoomエンジンとパッケージ化されたカスタムWADであるといえる。1997年に発売された『Hacx:Twitch 'n Kill』がその例である。 商業的にリリースされたWADに貢献した多くの人々に加えて、さまざまな作者が他のゲームの開発に関与するようになった。 ケネス・スコット…『Hacx:Twitch 'n Kill』にアートワークを寄稿した後、id Softwareとバンジー後に『Halo』ゲームの開発を担う343 Industriesでアートディレクターになった。 『Master Levels for Doom II』に 2つのステージを提供したティム・ウィリッツは、後にid Softwareの主任デザイナーになった。 『Final Doom』の収録ステージのうち4分の1を作成したダリオ・カザーリは、Valveに雇われて『Half-Life』に取り組んだ。 Sverre Kvernmo…『Master Levels for Doom II』の5つのステージのデザイナーでTeamTNTのメンバー。Ion Stormに『大刀』のために雇われた。 Iikka Keränen…いくつかのDoom WADとそれ以降のQuake Modの作者。Ian Stormに雇われて『Anachronox』と『大刀』のステージを作成し、Looking Glass Studiosに『Thief II:The Metal Age』のステージを作成した。Keränenは後にValveに雇われた。 ジョン・アンダーソン (レベルデザイナー)…「睡眠博士」としても知られる。『Master Levels for Doom II』の5つのステージと『The Ultimate Doom』のE4M7の作者であり、後に『Blood』『Unreal』および『大刀』に取り組んだ。 Matthias Worch (レベルデザイナー)は、Ritual Entertainmentに入社して『SiN』に取り組んだ。彼は後にUnrealシリーズに貢献した。
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