商業と交易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 16:02 UTC 版)
古代の嶺南では、中原との交通が険しい山々によって阻まれることから、開発も遅れた。「山高皇帝遠」(山は高く、皇帝は遠い)と嶺南の人間を嘆かせていたこの地理的条件が、一方では中原の政治の風波の影響を受けにくくすることにも役立った。 経済の発展も、一旦始まると、あとは比較的平穏に進んでいった。中原とは「以農為本」(農業をもって本となす)という点では同じだったが、農作物ではまずこの地域に古くからあった水稲を主とした。また、嶺南は河川が縦横に走っており、気候も温暖なので、穀物以外にも養魚、家禽、果樹、桑樹、養蚕など、漁業や畜産業や商品作物の栽培といったあらゆる種類の第一次産業を行うことができた。 海岸線の長い嶺南では、沿海漁業の他に海上交易も早くから行われた。海の向こうとの交易の経験が、商品経済の発展や商品意識の育成へつながった。元代には、嶺南は海のシルクロードを通じた東西交易の東の玄関となり、明から清中期にかけては嶺南の繁栄ぶりは最高に達した。この時期は広州だけが中国唯一の対外貿易港で、広州は中国でも最大級の商業都市であり、珠江は行き交う船で大いに繁忙した。
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