品川宿の遊郭とは? わかりやすく解説

品川宿の遊郭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 03:54 UTC 版)

品川宿」の記事における「品川宿の遊郭」の解説

岡場所色町遊廓飯盛旅籠)としても栄えた1772年幕府品川宿飯盛女の数を500人と定めた実効性がないまま増加1843年ころの記録では、食売旅籠屋92軒、水茶屋64軒を数え、「北の吉原、南の品川」と称されるほど一大遊興地として繁栄した1844年1月道中奉行摘発行なった際には、1,348人の飯盛女検挙している。 西沢一鳳江戸見聞録皇都午睡(みやこのひるね)』(1850)では、幕末当時賑わいを「高縄より茶屋有て(案内茶屋也)品川宿中央小橋有りそれより上は女郎銭店より下は大店也。女郎屋何れも大きく浜側の方は先より品川沖を見晴らし、はるか向ふに、上総房州遠山見えて、夜は白魚を取る篝火ちらつき漁船に網有り、釣あり、夏は納涼によく、絶景也。 (中略女郎屋頗る多し中にも土蔵相摸大湊屋など名高し。岡側の家は後に御殿山をひかえ、浜側は裏に海をひかえ、往来奥州出羽より江戸過ぎて京・西国赴く旅人、下る人は九州西国中国畿内国々より行く旅人ども、参宮金ぴら大山詣り富士詣鎌倉大磯遊歴やら箱根湯治参勤交代大小名、貴賎論ぜず通行すれば、賑わしきこと此上なし。表の間は板敷にて玄関構へ、中店勘定場にて泊り衆の大名・旗本衆の名札張り中庭泉水廊下し、琴・三味線の音など聞へ、道中女郎屋冠たるべし。」と書いている。居残り佐平次品川心中など古典落語の廓噺の舞台ともなった

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