周辺の遺跡
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「桜木遺跡 (世田谷区)」の記事における「周辺の遺跡」の解説
桜木遺跡の所在する烏山川流域や、烏山川と同じく目黒川水系に属する北沢川の流域は、世田谷区内でも遺跡の密集度が比較的高い地域とされる。これらの河川に面する台地上には旧石器時代から中世に至る各時代の遺跡が分布していて、とりわけ縄文時代の集落が多く認められる。 縄文時代の集落遺跡については、多摩川沿いの国分寺崖線上に諏訪山、奥沢台、下野毛、瀬田、堂ケ谷戸、大蔵(いずれも世田谷区)などの遺跡群が連なり、これらは詳細は明らかではないものの、大規模集落との推定がなされている。しかし、内陸部に入ると桜木遺跡と同じ目黒川水系の下流域で鶴ケ久保、蛇崩(いずれも世田谷区)、大橋(目黒区)などの中規模集落が見つかっている程度で、上流部にさかのぼると八幡山、廻沢北、船橋本村北、千歳、向山、新井、丸下(いずれも世田谷区)など、確認されているのは小規模な集落の存在のみである。 2005年(平成17年)に始まった本発掘調査によって、桜木遺跡からは縄文時代中期の住居跡が多数見つかっている上にその継続期間が長いことが判明してきた。目黒川水系に存在した最大の縄文時代中期集落であり東京都内でも最大の規模と目され、同水系に分布する小規模集落遺跡群を結ぶネットワークの中核的な存在であるとの推定がなされている。
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周辺の遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/04 21:29 UTC 版)
泉崎横穴の約2キロメートル南にある関和久官衙遺跡は古代白河郡の郡衙(郡役所)跡で、7世紀末から8世紀初頭に成立した。また、阿武隈川を挟んだ対岸にはその附属寺院跡(借宿廃寺)があり、その近くには6世紀後半の築造とされる下総塚古墳(前方後円墳)、6世紀後半の豪族居館跡である舟田中道遺跡、7世紀のものとされる谷地久保古墳がある。 これらの遺跡より、6世紀後半から8世紀初めまでの白河地方の中心地はこの一帯(福島県西白河郡泉崎村南部・白河市北部地域)と推定され、泉崎横穴を含めたこれらの遺跡群は白河国造から古代白河郡への変遷を解明する上で重要である。 なお、関和久官衙遺跡と舟田中道遺跡・谷地久保古墳・下総塚古墳(白河舟田・本沼遺跡群)は国の史跡に指定されている。
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