周恩来とは? わかりやすく解説

しゅう‐おんらい〔シウ‐〕【周恩来】


チョウ‐エンライ【周恩来】

読み方:ちょうえんらい

しゅうおんらい(周恩来)


周恩来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 17:06 UTC 版)

周 恩来(しゅう おんらい、ジョウ・エンライ、簡体字: 周恩来; 拼音: Zhōu Ēnlái; ウェード式: Chou1 Ên1-lai21898年3月5日 - 1976年1月8日[1])は、中国政治家革命家は翔宇。中華人民共和国の初代総理(首相)で、建国された1949年10月1日以来死去するまで一貫して在任した。毛沢東共産党主席の信任を繋ぎとめ、文化大革命中も失脚しなかったことなどから「不倒翁」(起き上がり小法師)の異名がある。父は周劭綱(もとの名は貽能)。嗣父で叔父は周貽淦。弟は周恩溥・周恩寿。妻は鄧穎超。養子女は孫維世(養女、文化大革命で迫害死)・李鵬(養子、後に国務院総理)である。


注釈

  1. ^ このことはこの当時まだ周恩来が共産主義者ではなかったことを示している[4]
  2. ^ 勤工倹学で留学した学生には中国政府から奨学金が下りる約束であったが、実際はほぼ全てを役人に横領されている。
  3. ^ 周恩来の治療について何らかの圧力によって最善が尽くされなかったことは周恩来の主治医張佐良による『周恩来・最後の十年』で記している。具体的には周恩来の癌の手術は完全には行われなかったし、抗癌剤治療も行うことが出来なかった。主治医の張はその原因については、明確な記述を行っていない。作家ユン・チアンマオ』では「毛沢東が治療の妨害を行った」と記述されている。なおユン・チアンがインタビュー・リストにこの主治医を載せていることは注目に値する。後年刊の高文謙『周恩来秘録』でも同じ結論が出されている。著者は中国共産党中央文献研究室で周恩来の伝記の編纂作業に携わり、渡米後(1989年の六四天安門事件を受けアメリカに移住)に著した

出典

  1. ^ 周恩来』 - コトバンク
  2. ^ 崔淑芬「日本における周恩来の遺跡の一考察」『人間文化研究所年報』第28号、筑紫女学園大学人間文化研究所、2017年、159頁。 
  3. ^ Boorman (332) makes the claim that Zhou attended Kawakami's lectures. Boorman, Howard L. ed. Biographical Dictionary of Republican China. New York, NY: Columbia University Press, 1967–71.
  4. ^ 小倉和夫『パリの周恩来 中国革命家の西欧体験』(中央公論社〈中公叢書〉、1992年
  5. ^ 中国網日本語版2010-11-18
  6. ^ INDIA-CHINA BILATERAL RELATIONS” (PDF). 2019年2月9日閲覧。
  7. ^ China-Pakistan relations”. チャイナデイリー (2006年11月14日). 2019年11月2日閲覧。
  8. ^ Benite, Zvi Ben-Dor (2013). "Taking 'Abduh to China: Chinese-Egyptian Intellectual Contact in the Early Twentieth Century". In Gelvin, James L.; Green, Nile (eds.). Global Muslims in the Age of Steam and Print. University of California Press. p. 264. ISBN 978-1-234-56789-7.
  9. ^ a b 周恩来总理与非洲国家领导人的深厚感情”. 人民網. 2018年6月29日閲覧。
  10. ^ GANEFO & CONEFO Lembaran Sejarah yang Terlupakan”. JakartaGreater (2015年10月25日). 2017年4月15日閲覧。
  11. ^ 毛沢東がスカルノ政権に核技術供与の意向? 研究者の論文が脚光”. 産経新聞 (2016年6月2日). 2017年5月24日閲覧。
  12. ^ “老外経”心中的周恩来総理”. 中華人民共和国商務部 (2014年5月12日). 2018年6月28日閲覧。
  13. ^ 楊明偉; 陳揚勇. 周恩来外交風雲. 解放軍文藝出版社. 1995. ISBN 9787503306907. p.357
  14. ^ Dr. Kwame Nkrumah Visits Emperor Haile Selassie I”. RasTafari TV (2016年2月12日). 2018年6月29日閲覧。
  15. ^ Africa Liberation Day and the Struggle against Imperialism. The African Union in the 21st Century”. Global Research (2018年5月26日). 2018年6月29日閲覧。
  16. ^ W. E. B. AND SHIRLEY GRAHAM DU BOIS IN MAOIST CHINA1”. Cambridge Core (2013年6月1日). 2018年9月11日閲覧。
  17. ^ Black Power in China: Mao’s Support for African American “Racial Struggle as Class Struggle”” (2017年3月8日). 2018年9月11日閲覧。
  18. ^ 中日両国の50年間のスポーツ交流史を振り返って”. 北京週報 (2008年8月5日). 2016年11月5日閲覧。
  19. ^ 周斌さんの回想録「私は中国の指導者の通訳だった」日本で出版”. 人民網. 2015年3月17日閲覧。
  20. ^ 周恩来総理と中日関係(中)生誕110周年にあたって”. 人民中国. 2016年11月5日閲覧。
  21. ^ U THANT: BUDDHISM IN ACTION
  22. ^ 「キッシンジャー回想録 中国(上)」第8章 和解への道 241~247P
  23. ^ (4)第68回国会における佐藤内閣総理大臣施政方針演説
  24. ^ 日本前首相披露中日交往過程中的另一面”. 人民網 (2004年7月6日). 2017年10月10日閲覧。
  25. ^ NHK BS1スペシャル「日中“密使外交”の全貌~佐藤栄作の極秘交渉~」2017年9月24日
  26. ^ “日中関係打開めざした「保利書簡」 「いぶし銀の調整役」保利茂(7)”. 日本経済新聞. (2011年10月30日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2401G_V21C11A0000000/ 2017年4月15日閲覧。 
  27. ^ 日本民社党訪中団中国中日友好協会代表団共同声明
  28. ^ 武田晴人 『高度成長 シリーズ日本近代史(8)』 岩波書店〈岩波新書(新赤版)1049〉、2008年、196–199。ISBN 9784004310495
  29. ^ Akio. “世界交友録 周恩来氏|池田大作先生の足跡|創価学会公式サイト”. 創価学会公式サイト. 2024年1月31日閲覧。
  30. ^ 周首相、病名はぼうこうガン『朝日新聞』1976年(昭和51年)1月23日夕刊、3版、11面
  31. ^ Photo Gallery | The Office of His Holiness The Dalai Lama
  32. ^ ダライ・ラマ14世会見記”. 日本記者クラブ. 2016年6月14日閲覧。
  33. ^ 矢吹晋『毛沢東と周恩来』。
  34. ^ ユン・チアン『ワイルド・スワン』講談社、1月 1993。 
  35. ^ 王效賢「溥傑氏と浩夫人への周総理の配慮」『人民中国』。
  36. ^ フランクディケーター 著、中川治子 訳『毛沢東の大飢饉 史上最も悲惨で破壊的な人災 1958-1962』草思社、2011年、52-57頁。ISBN 978-4-7942-1840-7OCLC 1183082785https://www.worldcat.org/oclc/1183082785 
  37. ^ 中国新聞社(チャイナニュース) 2010年12月13日記事
  38. ^ 韓東育東アジア研究の問題点と新思考」『北東アジア研究』別冊2、島根県立大学北東アジア地域研究センター、2013年5月、152頁、ISSN 1346-3810NAID 120005710669 



周恩来

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ムダヅモ無き改革」の記事における「周恩来」の解説

中華人民共和国初代首相毛沢東のおヒキ担当する忠良な配下として振る舞っていたが娘と弟を殺され恨みから裏切る。

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「周恩来」を含む「ムダヅモ無き改革」の記事については、「ムダヅモ無き改革」の概要を参照ください。


周恩来

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知日派」の記事における「周恩来」の解説

明治大学留学した日中国交正常化の際、田中角栄らをもてなし、後の日本政界影響力を持つ親中派作り上げることに一役買った

※この「周恩来」の解説は、「知日派」の解説の一部です。
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