呉の滅亡 (三国)
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呉の滅亡(ごのめつぼう)は晋(西晋)が呉を滅ぼし中国を統一した歴史事象であり、三国時代の最終期の戦争である。西晋の元号から「太康の役」とも呼ばれる[1]。
- ^ 陸機『弁亡論』。より正確には戦争時点の西晋の元号は「咸寧」で、戦勝と中国統一を祝って太康と改元した。
- ^ 司馬昭は呉の使者を迎えた宴席に劉禅や匈奴の呼廚泉らを侍らせ、曹奐を差し置き半ば皇帝のようであった。
- ^ ただし、孫晧はすぐに晋に出兵しようとしたが、陸凱に反対されこの時は断念した。
- ^ 川本(2005)p.50
- ^ 呉の滅亡後、伏波将軍に降格されている。これは驃騎将軍が、呉に晋の厚遇をアピールするための地位だったことを意味している。
- ^ 悠悠蒼天,此何人哉!(悠々たる蒼天、此れ何人かな!(はるかなる青い空よ、この戦乱は誰がおこしたのか!))『詩経』国風「王風」の黍離(しょり)の一節、この状況にふさわしい亡国の歌である。
- ^ 呉が滅亡した280年は、干支では庚子の歳になる。
- ^ フィクションじゃない リアルな三国志の世界、初来日へ 2019年3月18日06時00分 - 『朝日新聞』
- 1 呉の滅亡 (三国)とは
- 2 呉の滅亡 (三国)の概要
- 3 概要
- 4 漢詩
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