孫歆とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 孫歆の意味・解説 

孫歆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 17:06 UTC 版)

孫 歆(そん きん、生没年不詳)は、中国三国時代の武将。の皇族。祖父は孫賁。父は孫鄰。兄は孫苗・孫旅・孫述・孫震・孫諧。『三国志』呉志「宗室伝」が引く『呉歴』などに記述がある。

生涯

赤烏12年(249年)、父の孫鄰が死去した(『三国志』呉志「宗室伝」)。

父の跡は孫苗が継ぎ、その弟の孫旅や叔父らもしかるべき官職に就いた(『三国志』呉志「宗室伝」)。

孫歆は楽郷督となったという(『三国志』呉志「宗室伝」が引く『呉歴』)。

天紀3年(279年)、が呉を攻めると防戦にあたった。しかし翌年、杜預が管定・周旨・伍巣らを率い、奇兵800人でもって舟を使い楽郷に夜襲を仕掛けてきたため大敗した。孫歆は伍延に手紙を送り「北から来た軍は空を飛んで江を渡ってきた」と告げたという。その後も連戦連敗し捕虜となってしまい、身柄を洛陽に護送された。この時、王濬は孫歆の首を取ったと上奏したが、後から杜預が生きた孫歆を送ってきたため、朝廷の人々は大笑いしたという(『晋書』「杜預伝」)。

小説『三国志演義』にも登場し、晋の急襲に驚いているところを周旨に斬られた。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  孫歆のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「孫歆」の関連用語

孫歆のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



孫歆のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの孫歆 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS