吾平山上陵
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吾平山上陵(あひらのやまの えのみささぎ / あいらのやまの えのみささぎ / あいらさんりょう/あいらさんじょうりょう)は、鹿児島県鹿屋市吾平町上名にある皇族陵。宮内庁により天津日高彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)の陵に治定されている。
- ^ かつては「鵜戸六所権現、鵜戸権現、鵜殿神社などと称された。1824年(文政7年)の『姶良名勝誌』には「鵜戸六所権現、尊神六躰 木神像 高五寸五分宛座像 彦五瀬命 稲飯命 三毛入野命 彦波瀲部武 鵜茅葺不合命 玉依姫 神武天皇 御祭九月十九日…」とある[5]。ただし、姶良名勝誌の所在は明らかでない。『角川日本地名大辞典46 鹿児島県』「吾平町」の近世節を参照。
- ^ 1871年(明治4年)、大蔵卿は薩摩藩出身の大久保利通となった。
- ^ 鹿屋市肝付町の名の由来は大隅国の肝付(肝付氏)であるが、肝付氏は奈良時代の平城京にいた肝付氏の祖の大伴古麻呂の子孫の伴兼行が、大隅国国司の掾に任命され下向してきたものである。
- ^ 1874年(明治7年)には佐賀の乱が起きており、薩摩藩出身の大久保利通がこれを平定し、首謀者とされる司法卿の江藤新平ら13人は4月13日に法に基づかない裁判という私刑により死亡した。
- 1 吾平山上陵とは
- 2 吾平山上陵の概要
- 3 参考文献
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