肝属地方風水害とは? わかりやすく解説

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肝属地方風水害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/02 05:18 UTC 版)

肝属地方風水害
発災日時 1938年10月14日-10月15日
被災地域 鹿児島県
気象記録
最多雨量 高山観測所で400 mm
人的被害
死者
(国土交通省)304人
または(鹿児島大学)310人
行方不明者
(国土交通省)131人
または(鹿児島大学)125人
負傷者
(国土交通省)628人
または(鹿児島大学)629人
建物等被害
全壊
(国土交通省)1,532棟
または(鹿児島大学)1,969棟
半壊
1,397棟
浸水
(国土交通省)5,067棟
または(鹿児島大学)10,568棟
被害総額
約3,600万円
時価)
出典: 鹿児島大学[1]国土交通省[2]、高山川水害史碑[3]
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肝属地方風水害(きもつきちほうふうすいがい)は[4]昭和13年1938年)10月に鹿児島県で発生した台風が要因の水害[1][2]。肝属半島(大隅半島)の肝属川で発生[5][6]。「肝属水害」[6]、「肝属川水害」と呼ばれることもある[1]

経過

1938年10月8日、フィリピン東方にて台風が発生した[1]。14日の午後6時、屋久島西方の海上を通過[1]。15日の午前2時ごろ、台風の中心が屋久島に到達[1]。15日の午前6時に種子島東岸から東北東へ通過[1]。台風は16日に八丈島の西方にて消滅した[1]

屋久島雨量観測所の記録では、最低気圧が15日午前2時の730.2mmHg(973.52hPa)、最強風速が午前3時の毎秒33メートルであった[1]

被害

10月14日から15日の間に屋久島種子島を通過した際、時速10キロメートルから15キロメートルの速度であった[1]。14日夜の一晩の間に400ミリメートルを超える豪雨が短時間に局地に集中したことが問題となり[1]、大隅半島の南部は24時間雨量が400ミリを超えた[6]。鹿屋観測所では1日雨量が389ミリメートル、高山観測所では1日雨量が400ミリメートルを記録した[2]肝属川水系の10か所の堤防が決壊するなど、甚大な被害が発生した[6][1]。特に被害が大きかったのは、高山町姶良村内之浦町であった[1]鹿児島大学によると死者310人、行方不明者125人で計435人、重傷者629人の被害者が出た[1]。しかし国土交通省によると死者304人、行方不明者131人、負傷者628人とされている[2]。鹿児島大学によると流出全壊の家屋が1,969棟、半壊が1,397棟、浸水家屋が10,568棟を記録し[1]、国土交通省によると流出及び半壊家屋が1,532戸、浸水家屋が5,067戸とされている[2]。被害総額は当時で約3,600万円にのぼり、そのうち農業関係が約2,000万円を占めた[1]

錦江町の田代小学校では、裏山の土砂崩れにより木造校舎が破壊[6]。2人の教職員が死亡した[6]鹿屋市吾平町では浸水し、救難本部に遺体が収容された[6]

肝付町高山地区

一番犠牲者が多かったのは肝付町高山地区であった[6]鹿児島大学の名誉教授の岩松暉によると、高山地区では「山が崩れて土石流となって下流に押し寄せて増水して氾濫した」という[6]。平成には「被害を伝える石碑」、「高山川水害史碑」が建設された[6][3]。石碑の碑文によると、10月14日から15日にかけ、高山町では総雨量が420ミリの大雨により山津波が発生し、死者が118人、行方不明者が53人、重傷者が253人の被害が出た[3]。大水害洪水が潮のように押し寄せたために防ぐことができず、浸水した家屋は満水となったため、屋根の上に避難したが、下流に押し流された人もいたといった様子であった[3]

復興活動

10月15日朝、県庁に被害の情報が伝達したが、詳細はよくわかっていなかった[1]。しかし前代未聞らしいということにより、県庁に救援救護本部、鹿屋町に出先本部を設置[1]。県立鹿児島病院や県医師会をメンバーに、救療隊が結成された[1]。同日、海上班が警察船「旭櫻」で内之浦へ派遣され、救療隊も同行した[1]。陸上班は鹿屋へと派遣された[1]。事態の判明後、20日に鹿児島の歩兵第45連隊、21日には熊本工兵隊と、軍隊が出動することとなった[1]。財源は国庫補助、県の復旧復興事業費、全国から集められた義援金で賄われた[1]

水害の前年の昭和12年より国による河川改修が開始されていたが、水害後に本格化された[1]。河川改修では、蛇行していた肝属川の直線化や堤防作りなどを行った[6]。大隅河川国道事務所によると、同規模の豪雨が発生しても氾濫にはいたらないとみているが、2018年の台風24号では支流が一時氾濫危険水位を上回るなど、想定を超える事態はありうるという[6]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 昭和13年肝属地方風水害”. かだいおうち. 鹿児島大学. 2023年9月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e 肝属川における水害の記憶”. 国土交通省九州地方整備局河川部. 2023年9月12日閲覧。
  3. ^ a b c d 高山川水害史碑”. かだいおうち. 鹿児島大学. 2023年9月12日閲覧。
  4. ^ 鹿児島 1940
  5. ^ 大隅半島”. コトバンク. DIGITALIO. 2023年9月12日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l 歴史を教訓に 肝属水害”. MBC防災スイッチ. 南日本放送 (2018年11月15日). 2023年9月12日閲覧。

参考文献

  • 鹿児島県 (1940-01). 昭和十三年肝屬地方風水害誌. NCID BN14455751 

ウィキメディア・コモンズには、肝属地方風水害に関するカテゴリがあります。




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